【急騰】今買えばいい株9102【わわわ】
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市況1板
https://hayabusa9.5ch.net/livemarket1/
・コテは無視しましょう。荒らしに構う奴も荒らしです。
・証券コード、銘柄名を併記してください。
・判断材料をできるだけ明確にお願いします。
・注目銘柄の事実に基づいた情報共有が目的なので、単なる買い煽りや自慰行為は控えてください。
*コテハンを付ける方は投資一般板やみんかぶ、ブログやツイッターを強く推奨しています。
*ブログの宣伝行為、スレの私物化は控えてください。
避難所
http://jbbs.shitaraba.net/business/5380/
●2ちゃんねる初心者の方は必ず使用上のお約束をお読みください。
http://info.5ch.net/index.php/
●次スレは原則>>700が立てること。>>750と>>800は補欠で待機。
900までに700,750,800がスレ立てできなかったら、有志がスレ立て宣言してスレ立てよろ。
※立てる前にスレ立て宣言推奨(スレ乱立防止のため)
※スレ一覧リロードで重複確認必須、スレ番が正しいか確認してから立てること。
※スレタイに特定の銘柄名をつけるのはやめましょう。トラブルの原因です。
※スレタイの先頭には【急騰】を、途中には通し番号をつけるのをお忘れなく。
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured イエローハット、オートバックスよりオートウェーブやな
オートウェーブは割安過ぎる トヨタ車が1、2位独占=米誌信頼性調査
ここまでの評価のトヨタ、もっとがっつり上げていこうぜ ラジオ現在株の利益で生活しています
今年はサラリーマンの年収ほど利益が出ています
震災ではほとんど資金無くなりました
糞専業wwwwwwwwww モリテック掲示板の買ってると思ってるあの人売りだからなwwwwww気をつけろよwwwww キモいsyphaの生き馬の目を抜くワッチョイwww >>31
震災被害者なら金支給されるんやないんか? イグニスの思惑凄いな
まじなら凄いとになりそうだな オートウェーブ ドライブレコーダー取り付け料金 5400円 バルブ売り豚じわじわと追い詰められてんねwww
200食ったら一気だぞ!! >>39
前から言ってた22/7の思惑はどうなりましたか?wwww
いい加減イグニスのはめ込みやめろや MIEコーポsyphaさんに乗ってもう勝てるし野崎も乗ったわ エディア損ね切り上げ式トリプルボトム最後の1400台ここからプラ転してのー!あとはわかるよな! カーメイトがS高、
ドライブレコーダー関連でメーカー、販売店と違って恩恵が大きい
3627 ネオス 時価総額41億円
グループ会社 株式会社ジェネシスHDがドライブレコーダーの製造をしている
http://www.neoscorp.jp/company/outline.html
https://www.jenesis.jp/products/geanee_dvr_34.html >>61
てめー安西監督バカにするタイプか!
上がったら謝れよ! 朝鮮もミサイルの代わりに手紙を飛ばすようになったか ネオス気付かれてないだろ
ここの情報たまに大当たりでるからな >>76
エディアきたあ
1400円台ガチホでOKですかね? エディア最後の1400台買えた奴、
一応お礼して!!! syphaのかーちゃん売春婦ってマジ?wwwwwwwww >>86
オッケーどころか、午後イチスタートがたのしみでしょーがねーわ! >>91
おまわりさーん!!!
こいつですヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3 ブラックマンデー再来への懸念
シカゴファンドの投資戦略
CHICAGO FUND INVESTMENT STRATEGY ネオス、ドライブレコーダー関連として認知されたらブチ飛ぶね。
久々にアタリな気がするけど、枚数かえねーな >>99
どういたしまして^ ^
多分、1400台もうないよ。 モーニング(4765)、18年3月期第2四半期決算は純利益11.1%増の2ケタ増益 >>100
エディアきましたね
ガチホします(^-^)/ >>103
礼はいらねーぜ^ ^
なかよくやろーな! ブラックマンデー再来への懸念
===============
ノーベル賞学者のロバート・シラー教授
アメリカ株式市場は20%調整へ
ハーバード大学のジェフリー・フランケル教授
近いうちに大幅調整が来る
●米税制改革は議会日程を考えると年内成立は難しい 賛成議員の人数も足りず
ムニューシン米財務長官
株下落というトランプ大統領が最も恐れる事態を警告
●成立しない場合は上昇分の相当部分が反転することに疑いの余地がない
●選挙後の1か月後は、株価は下落 平均騰落率は-4.9%
シカゴファンドの投資戦略
CHICAGO FUND INVESTMENT STRATEGY デイトレの勝ち方はボラがあるところに突っ込むしかない。
ちょこちょこ積み重ねても大きな投げが来たらすぐ含み損。
全然増えない。 >>104
よろしくです
持ち越します
来週楽しみです(^-^)/ 宮入グィン↑↑↑
完全にきのうと同じパターン
乗り遅れるなよおおおおおおおおお エニッシュにボーナス突っ込んで買ったぞ
しゃああああああああああ
エニッシュ買い入りまくりあげええええええ
エニッシュちゅええええええええ
エニッシュツイッターの有名人買いまくりきたこれ!!!!
昼休みにいろんなやつがエニッシュ買いまくってるぞ、しゃあああああああ!!! エニッシュにボーナス突っ込んで買ったぞ
しゃああああああああああ
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昼休みにいろんなやつがエニッシュ買いまくってるぞ、しゃあああああああ!!! エニッシュにボーナス突っ込んで買ったぞ
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エニッシュツイッターの有名人買いまくりきたこれ!!!!
昼休みにいろんなやつがエニッシュ買いまくってるぞ、
有名人も昼休み大量に買ってる宣言きたこれ!!!
しゃあああああああ!!! きのう宮入早売りして悔しくて寝られへんかったからな。
今日は絶対はなさん!!!!! ブラックマンデー再来への懸念
===============
ノーベル賞学者のロバート・シラー教授
アメリカ株式市場は20%調整へ
ハーバード大学のジェフリー・フランケル教授
近いうちに大幅調整が来る
●米税制改革は議会日程を考えると年内成立は難しい 賛成議員の人数も足りず
ムニューシン米財務長官
株下落というトランプ大統領が最も恐れる事態を警告
●成立しない場合は上昇分の相当部分が反転することに疑いの余地がない
●選挙後の1か月後は、株価は下落 平均騰落率は-4.9%
シカゴファンドの投資戦略
CHICAGO FUND INVESTMENT STRATEGY トーセ助かったああ亜。
救援隊ありがとう(>_<) 月曜自民快勝でご祝儀上げ期待でフルポジパンパン丸でござるww おかしい。
日経平均株価がここまで上がっているのに
監視している銘柄が18000円台の頃から
大して上がっていないものだらけなんじゃが ケイブ、「3jus」ティザーサイトを更新。支配vs自由vs金欲「日本三極化」が意味するものとは?きたる選挙のゆくえは……。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000708.000001290.html 神戸のヘッジでサンユウwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>135
195 山師さん 2017/10/20(金) 13:02:52.74 ID:dhE8yJgZ
RING@個人投資家。? @xRINGx 45秒46秒前
その他
神鋼、社内調査後も不正継続 20日午後発表へ エニッシュにボーナス突っ込んで売ったぞ
しゃああああああああああ
エニッシュ売り入りまくりさげええええええ
エニッシュちゅええええええええ
エニッシュツイッターの有名人売りまくりきたこれ!!!!
昼休みにいろんなやつがエニッシュ売りまくってるぞ、
有名人も昼休み大量売ってる宣言きたこれ!!!
しゃあああああああ!!! エニッシュも、トーセも落ちないね
押したら買おうかと思ったのに >>131
その頃ジャスダックとか小型かなり上げてたろ
それJCやねん ワッチョイで問題ないと思うけどな
人多い方に俺も書くけど、なんでそこまで拒絶するんだろ ブラックマンデー再来への懸念
===============
ノーベル賞学者のロバート・シラー教授
アメリカ株式市場は20%調整へ
ハーバード大学のジェフリー・フランケル教授
近いうちに大幅調整が来る
●米税制改革は議会日程を考えると年内成立は難しい 賛成議員の人数も足りず
ムニューシン米財務長官
株下落というトランプ大統領が最も恐れる事態を警告
●成立しない場合は上昇分の相当部分が反転することに疑いの余地がない
選挙後は材料出尽くし
●選挙後の1か月後は、株価は下落 平均騰落率は-4.9%
●来年からマイナス金利脱却見通し
+
●消費税引き上げ10%=景気は奈落の底へ=暴落
シカゴファンドの投資戦略
CHICAGO FUND INVESTMENT STRATEGY 大型上げ疲れたのか小型に振ってきたな
3000円台くらいの東一がガンガン買われてる感じする 57年ぶりに14連投もしたんだから日経3万くらい下げてもいいよ みくる? @lll60014 ・ 23分23分前
? その他
今週は+1690億円
資産は2000億円突破しました〜??
日銀も真っ青
Σd(゚∀゚d)イカス! 日経平均14連騰 過去最長タイ
10/20(金) 15:12 掲載 .
日経平均、14日連続上昇=高度成長期以来、約57年ぶり メタップス!タイムバンクにホリエモン来た祭り来てるぞw メタップスY板で死体蹴ってきた
すっきり(^ω^) 未体験、国策バイオ銘柄
メドレックス 4586 時価80億
ドナルド・トランプ米大統領は10日、依存性の強いオピオイドの蔓延について
国家非常事態を宣言した。
「オピオイド危機への対策に多くの時間と労力、資金を投入する」
http://jp.wsj.com/articles/SB12309634347786044684404583322690040113574
麻薬成分を含む鎮痛剤において、乱用したり麻薬の成分を抽出できる飲み薬の規制。
その対策としてメドレックスの張り薬。
テーマの出現は個別企業の企業価値を急激に上昇させる。 【三重】宇流冨志禰(うるふしね)神社例大祭 みこし担いで歴史に触れて 28日から名張秋祭り
2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1508564013/
ワロタ >>154
安倍ちゃんじゃなくなったら多分暴落するぞ
吊り上げてる本人なんだから
ここは安倍ちゃんの頭にミサイルがぶち込まれて奇跡的に知能がアップすることを望む どこに入れたらいいかわからない奴はヤフーの選挙情報みろ
質問に答えるだけで自分にあってる政党が出る
https://seiji.yahoo.co.jp/senkyo/#matchMod >>179
やってみたけど酷いなこれ
既に反論されてる事がメリットに書かれてる >>185
明日は落とせないと思うぞ。調整は週末から、と思いたい さがるどころか上がるので、今日の天井で買ってまった。
まあ、いいか、ご愛敬にしといて、下がれば何品するね。
日経、しぶといね。 日経プラテンはええな
しばらくプラマイでもみ合うかもな 筋がいたから3000目標あたりでやってたんだろ。大体売り抜けたんじゃね? 明日は主力に資金流れてエニッシュなんてストップ安だぞ エディア@1400台ですが、
昨日の夜オススメした
理経@218
ちゃんと乗ったか? 前田製作所飛んだぁあああああああああああああああああああああああああ >>201
時々、出てくるこの書き込みは和むわ。
でも、最近、日本ライトンだめだね。 マイナスいっても日銀買いやってくるしな
日経無敵状態入ってる 前田いっけぇえええええええええええええええええええええ 前田の押し目うんめぇええええええええええええええええええええ MSコンサル青天井きたぁあああああああああああああああああ!! 前田さんの筋は双信電機さんと同じ臭いがしましゅねーwww >>199
なると思います
安心して乗っかって資産を増やして下さいね! ボヤージュ、ptsで買えたやつは勝ち組だったな
自社株買いと消却とセットだし、株価は前回比半値なんだから逆に上だよね普通に… >>247
発表するたびに下げとるからなあ
いい加減、もう折り込めよ 豊和ーーーーぁっ!
∧_∧ ドルルルルルルルル!!
(´∀`)___。\从/
ミ( つ【[ロ=:(∈(ニ(@ 三
`人 ヽノ ≡ ̄ ゚̄/Wヽ
(_(_) ≡
≡ ☆注目株☆「6416桂川電機」 188円
1株純資産530円で、大型プリンターが得意。
自動車向けモーター部品も開発しており電気
自動車へ採用や応用の思惑で、最近急騰。 リミックスの株価操縦してたの馬鹿すぎて株価下落させて新株半額発行だなwww レポートの内容もひでえけど
アエリアの反論もひでえわ
希薄化や子会社の業績には何も言及してないし >>258
社名はともかく、好か悪かもそれじゃわからん ソフトブレーン爆上げするらしいから買っておいてね。
月曜が最後の買い場 【FX・バイナリー・日経225・株あらゆる投資で負け続け疲れたあなたへ】
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2015末からの暴落生き延びてるからセンスあり LINEレンジャーのレビュー見てたら上から30個ぐらい☆1つだけの超低評価レビューが続いて☆5個の運営よいしょレビューがあったと思ったらまた100個ぐらい☆1つレビューが続いてて笑った
LINEはクソ ドル円支えとるやつ殺すぞ
日本の生保だろ
こらさば キレキレのダンスをする日本人ダンサーShiori Murayama
3番目のグループの真ん中がShiori Murayama
Kaytranada Ft Syd "You're The One" | Choreography By Karon Lynn
https://www.youtube.com/watch?v=X3bPYme_kl4
2番目のグループの前列左がShiori Murayama
前髪が金髪の男性は日本人のMaho Udo(大阪出身でマドンナ、ジャスティン・ビーバーなど有名歌手のバックダンサーをしていた)
Sensei | FeFe Burgos
https://www.youtube.com/watch?v=1Cw-nFzgybc
ジャスティン・ビーバーのバックダンサーのDelaney Glazer(女性)とCJ Salvador(男性)がでてる超豪華ライブ
ダンサーは全員有名ダンサー
LA All-Stars | FUNK'tion 9 | 2017 (Balcony View)
https://www.youtube.com/watch?v=KL4waPAmfic
Delaney Glazerの素顔
Boston with the Wiggle Crew / Vlog
https://www.youtube.com/watch?v=Y5NSoIvHkPU
Kaycee Rice... And more - LA All - Stars FUNK'tion9 2017
https://www.youtube.com/watch?v=BiQt4Fh-eAc
2番目のグループの真ん中の女性がDelaney Glazer
https://www.youtube.com/watch?v=6TsvrWluthw
https://www.youtube.com/w★atch?v=gA★MjGfcUdNU
Delaney Glazer(女性)のつるつるの素顔↑ 【今まで世の中にはなかった“投資の裏技”】を完全無料(0円)公開中!
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50万っつったら何回風俗行けんだよくそ >>329
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先月13歳の誕生日にスマホを買ってもらった加藤瑠花ちゃん13歳がなんと今月から50万円を受け取っているとの事(驚)
学校と部活が生活のほとんどの時間を占めている彼女は一体どうやって毎月50万円ものお金を受け取っているのでしょうか?
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2、彼女はそれ以降全く何もしていません。
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の中学1年生はどうやって毎月50万円を受け取っているのか?もう、答えわかりました?
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ならオラはレンタルオナホで一発当てたろかな? サインポスト買っといた方がいいでーー
PTSで売り付けてやればいいんや
即金明けで特買い恐れた奴が高値で買ってくれるぞ ソレイの大口
むきになってるなあ
なにか早くに
逃げたい理由あるんだろうな 今年300万スタートで今+600万の900万
来年の分の生活費−300万引いて
600万スタート
こんな稼げるだろう年でこれか
厳しいなぁ株生活 ヤーマンていうフレーズ見ると、mixi黎明期を思い出す。これ言ってるやつめちゃくちゃ居たような… >>329
おれおとついより含み損30万減ってる(´・ω・`) ワイエスフード好きだから買いたかったんだけど優待なくてやめたわ 6175ネットマーケティング
社長がフィスコインタビューで時価総額1000億を目指すと発言。
10期連続好決算でまだ時価総額100億程度。 明日はポケモンGOの鳥取砂丘イベント効果で
位置ゲー物色かな?
ショーケース、エディアか ライザップ鉄火場だなw
ウハウハなのは札証だけかw >>387
DMI,RSI,ストキャス,ROCが底打ったとき 馬鹿野郎!また700はスレたててないのか!
早くしろ! パンダのせこい嵌め込み
応援@100万円チャレンジ中? @oen0en ・ 6 分6 分前
サインポストのワンダーレジ来年春販売開始ってどっかに出てたっけ?
2017/11/21 16:17
サインポストの蒲原社長「AIレジ、世界に展開」:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23743580R21C17A1000000/
まだ実証実験の段階だが、来春から販売が可能とみている 電話注文でデイトレしてる方に質問ですが
喋っている間に値段が動いてしまいます
どのように対処されていますか? >>400
おじいちゃん、もう無理しないで引退したほうがいいよ あらあら
悪徳神戸製鋼またあげちゃって
他の会社にしめしがつかないね ヤマシンフィルターごっつぉさん
ガチホ銘柄手放した後ってまたガチホしたい銘柄探さなきゃいけないからめんどくなる ビットコインって糞じゃん
仮想通貨の所得計算、具体例公表国税庁がQ&A
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO24143700R01C17A2000000
例えば3月に4ビットコインを200万円で購入、5月に0.2ビットコインを11万円で売却した際は、売却額と0.2ビットコインあたりの取得額10万円との差である1万円が所得金額になる。
ほかに▽ビットコインで商品を購入した▽仮想通貨の分裂(分岐)に伴い誕生した新たな仮想通貨を取得した▽取引の計算処理に協力して報酬を得る「マイニング(採掘)」で仮想通貨を取得した――などの事例で所得の計算方法を示した。
仮想通貨取引で損失が出た場合、給与所得など他の所得と差し引き(損益通算)できないことも改めて示した。 ビットコインとか間違いなく規制かかるわな
いつまでバブルが続くのか >>415
いつになったらビットコイン買うんだ?
10万でバブル。30万で高すぎる。80万でもう買えない
もう120万だぞ?あほなのか? あらためてみても
今月のIPO
魅力的なの全然ねえな
佐川なんて高く寄ったら絶対いらねえし 電車でgogo行ってきたわ
中々よかったわ胸のやわらかさが >>423
俺の握ってるインバ部含み損20万超えてたわ。 何買えば良いのか分からん。
UMNガチホでとりあえず毎日仕事頑張る。 ホットリンク昨日朝から買っていきますと言った訳今に分かるさちゃんと理由があるから 北朝鮮どころじゃないわな
エルサレム問題で中東戦争だわ とりあえず、余力を使って.
ナンピン
ほしかった株買い
だね。 俺が10年かけて株で苦労して苦労してやっと5000万稼いだってのに
どこぞの馬の骨ともわからん頭悪そうなDQNが
たまたま数年前にビットコイン10万円ぶんかって放置してただけで数億とか
マジでやる気なくなるな ばっかじゃねーの
ツイッターアカント作ったくらいで8%上昇ですか sipha「いつ乗っければいいのでしたっけ。 寄ってから1分後?」
【すてきナイスグループ】 主要DMメンバー
倍々銘柄のパナ @emperorpana
sypha @sipha6
東証たられば姫46 @pichipichi2020
のんたん @sabonon
とっとこカブ太郎 @tottokokabutaro
インベスター・スタローン @mahikelyone
2代目琵琶丸 @2eTzXR96gXdOdGV
闇ちゃん @0yami8yami0
https://pbs.twimg.com/media/DQSW4rxUMAAsFs1.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DQSW49pUIAASf_y.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DQSW6GVUIAAU5kw.jpg
https://twitter.com/okera1127/status/938040562938036224 江東区で切りつけとか、もうパーソンオブインタレストみたいに監視カメラaiな社会に進むな
そんな銘柄 富岡八幡宮の関係者が通り魔に襲われたとか。境内で殺生するなんて罰当たりな。 >>451
中学英語もわからないやつらがビットコインなんてやるかよw
そんな事をうらやましいと思うなら自分もやればいいだけ ドリコム買い一点
セルランから予想するに来週3000円到達だな 頭よければビットコインの将来性は直感できたわけだから
10万くらい遊びのつもりで買っときゃよかったんじゃん ビットコインはまだまだ上げて
いつか壊滅的崩壊が来るんだろうなあ 誰も期待してなかった、レイゼロってドリコムのゲームも意外と評価良さげだな
無料ランキングも上げてきてる まあ直近IPOで対空飛行しとる奴買っときゃ良いだろ クックビズとかこっから2倍は狙えるわ 日経見たリーマンの貝需要あるしな はぁ、ほんまにビットコインのせいで株馬鹿らしくなったな。
今上がってるのて人力煽りクソ株ばっかりだし。
年初に50万でもビットコイン買ってたらな。 後出しのウルフが仮想通貨触ってました的なことツイートしとるが、ツッコミいれ気力すらでんは、ハア仮想通貨バブルスリーした、くそが 急騰スレで聞くのもアレだが、お前ら仮想通貨やゲーセクみたいに上げも下げもデカい株と、絶対下がらずに1日に1〜2%絶対上がる株あったらどっち欲しい?
俺は兼業だし圧倒的後者 後者選ぶのが当たり前だろ
たった100日で倍〜4倍が確定するなら全力で買うだろ
一年で上手くいけば10バガーだろ
むしろそれを探すのが株やる命題だと思う 毎日1%ずつの複利とか、やばすぎるだろ(´・ω・`) たぶん>>477が質問したかった内容は
種が100万円として
仮想通貨やゲーセクみたいに上げも下げもデカい株と
年間利益率 10%確実に増える株では
どちらを選ぶ?ってことを聞きたかったんじゃないかな?
ちなみに自分はボラの大きい株を選ぶ 昨年から種300万ほどで少しずつ始めて
今年利確したのが20万、配当金3万、優待の品いろいろ
現在の含み益32万
こんなものでも楽しい ワッチョイ使ってんのかよ探しちまったわ
今更だろうがリミックス持ち越した殿方はおらんよな? >>481
それだけ勝ってりゃ十分だよ。勝つことより負けない事が大事。 >>481
株は平均年利12%とれたら上手だよ
日経平均よりパフォーマンスが良ければ充分凄い モリテック会社はいいけどクセが悪い
後場大体下げるここから買ってる奴は素人 だめだよここはwww
今日はマイナス7くらいで終わるだろうなwww スターウォーズ見てきたけど微妙だったわ
監督でこうも違うとは 岡本って硝子の方かよ!!
間違えてコンドーム買った奴wwwwww
私です。 株価が上がっても下がっても
儲かるポジションの作り方
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第5章 神はサイコロを振らない!?
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第6章 物理と金融工学
(株価が上がっても下がっても儲かる)
第7章 エントロピーと会話力
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第8章 自由度と働くリスク・リターン
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あくまでもチャートだけね…
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家電量販で首位のヤマダ電器と提携。トイレや洗面所などで飛躍的な
販売増加が期待でき、リフォームや介護や中国向けも期待できるので、
株価も本格上昇トレンドに飛躍中。優待や復配も中期で期待できます。 >>539
以前持ってたけど、板がスカスカすぎて動きが読めないのと、信用買残が少し気になる。
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レオス新規で買ったのにこれだけでは何で買ったかわからないしな 壽屋とかどうよあたりが最後のまともな会話かw
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買ーいーの人さ
一枚とか買ってひたすら書き込みしてるの?
面白くないから止めた方が良いよ
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夏目漱石
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けな を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい
頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休 暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面
くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着い
て三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報に は母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親た
ちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた
。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて 東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていい
か分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それ
で彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいとい
う境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自
由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった 。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなもの
には長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人 の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な
地位を占めていた。
私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ 下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動
いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に
知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべって みたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃ
やが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大き な別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの
避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を
飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めた り、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあった
ので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すてる事にしていた。 二
私わたくしがその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとすると ころであった。私はその時反対に濡ぬれた身体からだを風に吹かして水から上がって来た。二人の間あい
だには目を遮さえぎる幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃したか
も知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫ほうまんであったにもかかわらず、私が すぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴つれていたからである。
その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否いなや、すぐ私の注意を惹ひいた。純粋の日本
の浴衣ゆかたを着ていた彼は、それを床几しょうぎの上にすぽりと放ほうり出したまま、腕組みをして海 の方を向いて立っていた。彼は我々の穿はく猿股さるまた一つの外ほか何物も肌に着けていなかった。私
にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井ゆいが浜はままで行って、砂の上にしゃがみながら
、長い間西洋人の海へ入る様子を眺ながめていた。私の尻しりをおろした所は少し小高い丘の上で、その すぐ傍わきがホテルの裏口になっていたので、私の凝じっとしている間あいだに、大分だいぶ多くの男が
塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股ももは出していなかった。女は殊更ことさら肉を隠しがちで
あった。大抵は頭に護謨製ゴムせいの頭巾ずきんを被かぶって、海老茶えびちゃや紺こんや藍あいの色を 波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼めには、猿股一つで済まして皆みんなの前
に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。
彼はやがて自分の傍わきを顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言ひとこと二言ふたこと何なにか いった。その日本人は砂の上に落ちた手拭てぬぐいを拾い上げているところであったが、それを取り上げ
るや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。
私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿うしろすがたを見守っていた。すると彼 らは真直まっすぐに波の中に足を踏み込んだ。そうして遠浅とおあさの磯近いそちかくにわいわい騒いで
いる多人数たにんずの間あいだを通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの
頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。掛 茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身体からだを拭ふいて着物を着て、さっさとどこへか行ってし
まった。
彼らの出て行った後あと、私はやはり元の床几しょうぎに腰をおろして烟草タバコを吹かしていた。そ の時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなか
った。しかしどうしてもいつどこで会った人か想おもい出せずにしまった。
その時の私は屈托くったくがないというよりむしろ無聊ぶりょうに苦しんでいた。それで翌日あくるひ もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋かけぢゃやまで出かけてみた。すると西洋人は来
ないで先生一人麦藁帽むぎわらぼうを被かぶってやって来た。先生は眼鏡めがねをとって台の上に置いて
、すぐ手拭てぬぐいで頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。先生が昨日きのうのように騒がしい浴客 よくかくの中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にその後あとが追い掛けたくなった。私は浅い
水を頭の上まで跳はねかして相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標めじるしに抜手ぬきでを切っ
た。すると先生は昨日と違って、一種の弧線こせんを描えがいて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。そ れで私の目的はついに達せられなかった。私が陸おかへ上がって雫しずくの垂れる手を振りながら掛茶屋
に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。 三
私わたくしは次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した 。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶あいさつをする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生
の態度はむしろ非社交的であった。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいく
ら賑にぎやかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初いっしょに来た西洋人はその 後ごまるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。
或ある時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつもの場所に脱ぬぎ棄すてた浴衣ゆかたを着
ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂がいっぱい着いていた。先生はそれを落すために、後ろ向き になって、浴衣を二、三度振ふるった。すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間すきまから下へ落
ちた。先生は白絣しろがすりの上へ兵児帯へこおびを締めてから、眼鏡の失なくなったのに気が付いたと
見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐ腰掛こしかけの下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した 。先生は有難うといって、それを私の手から受け取った。
次の日私は先生の後あとにつづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。
二丁ちょうほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼あおい海の表面に浮いてい るものは、その近所に私ら二人より外ほかになかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山と
を照らしていた。私は自由と歓喜に充みちた筋肉を動かして海の中で躍おどり狂った。先生はまたぱたり
と手足の運動を已やめて仰向けになったまま浪なみの上に寝た。私もその真似まねをした。青空の色がぎ らぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。
しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」といって私を促し
た。比較的強い体質をもった私は、もっと海の中で遊んでいたかった。しかし先生から誘われた時、私は すぐ「ええ帰りましょう」と快く答えた。そうして二人でまた元の路みちを浜辺へ引き返した。
私はこれから先生と懇意になった。しかし先生がどこにいるかはまだ知らなかった。
それから中なか二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。先生と掛茶屋かけぢゃやで出会った時 、先生は突然私に向かって、「君はまだ大分だいぶ長くここにいるつもりですか」と聞いた。考えのない
私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」と答
えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急に極きまりが悪くなった。「先生は?」と聞 き返さずにはいられなかった。これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。
私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内けいだいにある別荘の
ような建物であった。そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解わかった。私が先生先生と呼び掛け るので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖くちくせだといって弁解した。私はこ
の間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉かまくらにいない事や、色々の
話をした末、日本人にさえあまり交際つきあいをもたないのに、そういう外国人と近付ちかづきになった のは不思議だといったりした。私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれども、ど
うしても思い出せないといった。若い私はその時暗あんに相手も私と同じような感じを持っていはしまい
かと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟ちんぎんし たあとで、「どうも君の顔には見覚みおぼえがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は
変に一種の失望を感じた。 四
私わたくしは月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は 先生と別れる時に、「これから折々お宅たくへ伺っても宜よござんすか」と聞いた。先生は単簡たんかん
にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりで
いたので、先生からもう少し濃こまやかな言葉を予期して掛かかったのである。それでこの物足りない返 事が少し私の自信を傷いためた。
私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く
気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く 気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に揺うごかされるたびに、もっと前へ進みたくなった
。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。私
は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先 生に対してだけこんな心持が起るのか解わからなかった。それが先生の亡くなった今日こんにちになって
、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の
素気そっけない挨拶あいさつや冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったので ある。傷いたましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止よせと
いう警告を与えたのである。他ひとの懐かしみに応じない先生は、他ひとを軽蔑けいべつする前に、まず
自分を軽蔑していたものとみえる。 私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数
ひかずがあるので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二日三日と経たつうちに、鎌倉
かまくらにいた時の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上に彩いろどられる大都会の空気が、記憶 の復活に伴う強い刺戟しげきと共に、濃く私の心を染め付けた。私は往来で学生の顔を見るたびに新しい
学年に対する希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。
授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種の弛たるみができてきた。私は何だか不足な 顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室へやの中を見廻みまわした。私の頭には再び先生の顔
が浮いて出た。私はまた先生に会いたくなった。
始めて先生の宅うちを訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。 晴れた空が身に沁しみ込むように感ぜられる好いい日和ひよりであった。その日も先生は留守であった。
鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵たいてい宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌
いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、理由わけもない不 満をどこかに感じた。私はすぐ玄関先を去らなかった。下女げじょの顔を見て少し躊躇ちゅうちょしてそ
こに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまた内うちへはいった
。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。 私はその人から鄭寧ていねいに先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司ヶ谷ぞうしが
やの墓地にある或ある仏へ花を手向たむけに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分
になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。私は会釈えしゃくして外へ 出た。賑にぎやかな町の方へ一丁ちょうほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。
先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐ踵きびすを回めぐらした。 五
私わたくしは墓地の手前にある苗畠なえばたけの左側からはいって、両方に楓かえでを植え付けた広い 道を奥の方へ進んで行った。するとその端はずれに見える茶店ちゃみせの中から先生らしい人がふいと出
て来た。私はその人の眼鏡めがねの縁ふちが日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生
」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。 「どうして……、どうして……」
先生は同じ言葉を二遍へん繰り返した。その言葉は森閑しんかんとした昼の中うちに異様な調子をもっ
て繰り返された。私は急に何とも応こたえられなくなった。 「私の後あとを跟つけて来たのですか。どうして……」
先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中うちには判然はっ
きりいえないような一種の曇りがあった。 私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰だれの墓へ参りに行ったか、妻さいがその人の名をいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」 「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだ
から」
先生はようやく得心とくしんしたらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解わからなかっ た。
先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々イサベラなになにの墓だの、神僕しんぼ
くロギンの墓だのという傍かたわらに、一切衆生悉有仏生いっさいしゅじょうしつうぶっしょうと書いた 塔婆とうばなどが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫ほり付けた小さい墓の
前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」と
いって先生は苦笑した。 先生はこれらの墓標が現わす人種々ひとさまざまの様式に対して、私ほどに滑稽こっけいもアイロニー
も認めてないらしかった。私が丸い墓石はかいしだの細長い御影みかげの碑ひだのを指して、しきりにか
れこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面 目まじめに考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。
墓地の区切り目に、大きな銀杏いちょうが一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、先生は高
い梢こずえを見上げて、「もう少しすると、綺麗きれいですよ。この木がすっかり黄葉こうようして、こ こいらの地面は金色きんいろの落葉で埋うずまるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ず
この木の下を通るのであった。
向うの方で凸凹でこぼこの地面をならして新墓地を作っている男が、鍬くわの手を休めて私たちを見て いた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。
これからどこへ行くという目的あてのない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより
口数を利きかなかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行っ た。
「すぐお宅たくへお帰りですか」
「ええ別に寄る所もありませんから」 二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。
「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。
「いいえ」 「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」
「いいえ」
先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一町ちょうほど 歩いた後あとで、先生が不意にそこへ戻って来た。
「あすこには私の友達の墓があるんです」
「お友達のお墓へ毎月まいげつお参りをなさるんですか」 「そうです」
先生はその日これ以外を語らなかった。 六
私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数どす うが重なるにつれて、私はますます繁しげく先生の玄関へ足を運んだ。
けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶あいさつをした時も、懇意になったその後のちも、あまり
変りはなかった。先生は何時いつも静かであった。ある時は静か過ぎて淋さびしいくらいであった。私は 最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければ
いられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの
人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後のちになって事実の上に証 拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿ばかげていると笑われても、それを見越した自
分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉うれしく思っている。人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人
、それでいて自分の懐ふところに入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、―― これが先生であった。
今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る
事があった。窓に黒い鳥影が射さすように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその 曇りを先生の眉間みけんに認めたのは、雑司ヶ谷ぞうしがやの墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であっ
た。私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一
時の結滞けったいに過ぎなかった。私の心は五分と経たたないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎ り暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春こはるの尽
きるに間まのない或ある晩の事であった。
先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏いちょうの大樹たいじゅを眼めの前に 想おもい浮かべた。勘定してみると、先生が毎月例まいげつれいとして墓参に行く日が、それからちょう
ど三日目に当っていた。その三日目は私の課業が午ひるで終おえる楽な日であった。私は先生に向かって
こういった。 「先生雑司ヶ谷ぞうしがやの銀杏はもう散ってしまったでしょうか」
「まだ空坊主からぼうずにはならないでしょう」
先生はそう答えながら私の顔を見守った。そうしてそこからしばし眼を離さなかった。私はすぐいった 。
「今度お墓参はかまいりにいらっしゃる時にお伴ともをしても宜よござんすか。私は先生といっしょにあ
すこいらが散歩してみたい」 「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」
「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好いいじゃありませんか」
先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」といって、ど こまでも墓参ぼさんと散歩を切り離そうとする風ふうに見えた。私と行きたくない口実だか何だか、私に
はその時の先生が、いかにも子供らしくて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。
「じゃお墓参りでも好いいからいっしょに伴つれて行って下さい。私もお墓参りをしますから」 実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。すると先生の眉まゆがち
ょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪けんおとも畏怖いふとも片付けられな
い微かすかな不安らしいものであった。私は忽たちまち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く 思い起した。二つの表情は全く同じだったのである。
「私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他ひとといっしょにあす
こへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さいさえまだ伴れて行った事がないのです」 私わたくしは不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅うちへ出入でいりをするのではな
かった。私はただそのままにして打ち過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ
尊たっとむべきものの一つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際つきあいができた のだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋つ
なぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚し
ていなかった。それだから尊たっといのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が 二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たい眼まなこで研究
されるのを絶えず恐れていたのである。
私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅うちへ行くようになった。私の足が段々繁しげくなった時 のある日、先生は突然私に向かって聞いた。
「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」
「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかしお邪魔じゃまなんですか」 「邪魔だとはいいません」
なるほど迷惑という様子は、先生のどこにも見えなかった。私は先生の交際の範囲の極きわめて狭い事
を知っていた。先生の元の同級生などで、その頃ころ東京にいるものはほとんど二人か三人しかないとい う事も知っていた。先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは
皆みんな私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。
「私は淋さびしい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからな ぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」
「そりゃまたなぜです」
私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳いくつですか」 といった。
この問答は私にとってすこぶる不得要領ふとくようりょうのものであったが、私はその時底そこまで押
さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経たたないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出る や否いなや笑い出した。
「また来ましたね」といった。
「ええ来ました」といって自分も笑った。 私は外ほかの人からこういわれたらきっと癪しゃくに触さわったろうと思う。しかし先生にこういわれ
た時は、まるで反対であった。癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。
「私は淋さびしい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、 ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいら
れるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打ぶつ
かりたいのでしょう……」 「私はちっとも淋さむしくはありません」
「若いうちほど淋さむしいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅うちへ来るので
すか」 ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。
「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋さびしい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのために
その淋しさを根元ねもとから引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外ほかの方を向いて今 に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」
先生はこういって淋しい笑い方をした。 八
幸さいわいにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私わたくしは、この予言の中う ちに含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。私は依然として先生に会いに行った。その内うちい
つの間にか先生の食卓で飯めしを食うようになった。自然の結果奥さんとも口を利きかなければならない
ようになった。 普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇か
らいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がなかった。それが源因げんいんかどうかは疑問
だが、私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。先生の奥さんにはその 前玄関で会った時、美しいという印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を受けない事はなかった
。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについて語るべき何物ももたないような気がした。
これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知 れない。しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持で奥さんに対していた。奥さんも自分の
夫の所へ来る書生だからという好意で、私を遇していたらしい。だから中間に立つ先生を取り除のければ
、つまり二人はばらばらになっていた。それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただ美し いという外ほかに何の感じも残っていない。
ある時私は先生の宅うちで酒を飲まされた。その時奥さんが出て来て傍そばで酌しゃくをしてくれた。
先生はいつもより愉快そうに見えた。奥さんに「お前も一つお上がり」といって、自分の呑のみ干した盃 さかずきを差した。奥さんは「私は……」と辞退しかけた後あと、迷惑そうにそれを受け取った。奥さん
は綺麗きれいな眉まゆを寄せて、私の半分ばかり注ついで上げた盃を、唇の先へ持って行った。奥さんと
先生の間に下しものような会話が始まった。 「珍らしい事。私に呑めとおっしゃった事は滅多めったにないのにね」
「お前は嫌きらいだからさ。しかし稀たまには飲むといいよ。好いい心持になるよ」
「ちっともならないわ。苦しいぎりで。でもあなたは大変ご愉快ゆかいそうね、少しご酒しゅを召し上が ると」
「時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない」
「今夜はいかがです」 「今夜は好いい心持だね」
「これから毎晩少しずつ召し上がると宜よござんすよ」
「そうはいかない」 「召し上がって下さいよ。その方が淋さむしくなくって好いから」
先生の宅うちは夫婦と下女げじょだけであった。行くたびに大抵たいていはひそりとしていた。高い笑
い声などの聞こえる試しはまるでなかった。或ある時ときは宅の中にいるものは先生と私だけのような気 がした。
「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そうですな」と答えた。し
かし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅うるさい もののように考えていた。
「一人貰もらってやろうか」と先生がいった。
「貰もらいッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。 「子供はいつまで経たったってできっこないよ」と先生がいった。
奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った
。 私わたくしの知る限り先生と奥さんとは、仲の好いい夫婦の一対いっついであった。家庭の一員として
暮した事のない私のことだから、深い消息は無論解わからなかったけれども、座敷で私と対坐たいざして
いる時、先生は何かのついでに、下女げじょを呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静 しずといった)。先生は「おい静」といつでも襖ふすまの方を振り向いた。その呼びかたが私には優やさ
しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子も甚はなはだ素直であった。ときたまご馳走ちそうにな
って、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間あいだに描えがき出される ようであった。
先生は時々奥さんを伴つれて、音楽会だの芝居だのに行った。それから夫婦づれで一週間以内の旅行を
した事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根はこねから貰った絵端書えはがきをまだ持 っている。日光にっこうへ行った時は紅葉もみじの葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。
当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのうちにたった一つの例外が
あった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声が した。よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆いさかいらしかった。先生の宅は玄関の次
がすぐ座敷になっているので、格子こうしの前に立っていた私の耳にその言逆いさかいの調子だけはほぼ
分った。そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先 生よりも低い音おんなので、誰だか判然はっきりしなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。泣いて
いるようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿
へ帰った。 妙に不安な心持が私を襲って来た。私は書物を読んでも呑のみ込む能力を失ってしまった。約一時間ば
かりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。私は驚いて窓を開けた。先生は散歩しようといって、下
から私を誘った。先刻さっき帯の間へ包くるんだままの時計を出して見ると、もう八時過ぎであった。私 は帰ったなりまだ袴はかまを着けていた。私はそれなりすぐ表へ出た。
その晩私は先生といっしょに麦酒ビールを飲んだ。先生は元来酒量に乏しい人であった。ある程度まで
飲んで、それで酔えなければ、酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。 「今日は駄目だめです」といって先生は苦笑した。
「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。
私の腹の中には始終先刻さっきの事が引ひっ懸かかっていた。肴さかなの骨が咽喉のどに刺さった時の ように、私は苦しんだ。打ち明けてみようかと考えたり、止よした方が好よかろうかと思い直したりする
動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。
「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。「実は私も少し変なのですよ。君に分り ますか」
私は何の答えもし得なかった。
「実は先刻さっき妻さいと少し喧嘩けんかをしてね。それで下くだらない神経を昂奮こうふんさせてしま ったんです」と先生がまたいった。
「どうして……」
私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。 「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです
」
「どんなに先生を誤解なさるんですか」 先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。
「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」
先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。 二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁ちょうも二丁もつづいた。その後あとで突然先生が口を利きき
出した。
「悪い事をした。怒って出たから妻さいはさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀かわいそうなも のですね。私わたくしの妻などは私より外ほかにまるで頼りにするものがないんだから」
先生の言葉はちょっとそこで途切とぎれたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移
って行った。 「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽こっけいだが。君、私は君の眼にどう映ります
かね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」
「中位ちゅうぐらいに見えます」と私は答えた。この答えは先生にとって少し案外らしかった。先生はま た口を閉じて、無言で歩き出した。
先生の宅うちへ帰るには私の下宿のつい傍そばを通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で
分れるのが先生に済まないような気がした。「ついでにお宅たくの前までお伴ともしましょうか」といっ た。先生は忽たちまち手で私を遮さえぎった。
「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君さいくんのために」
先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を暖かにした。私はその言 葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私はその後ごも長い間この「妻君のために」という言
葉を忘れなかった。
先生と奥さんの間に起った波瀾はらんが、大したものでない事はこれでも解わかった。それがまた滅多 めったに起る現象でなかった事も、その後絶えず出入でいりをして来た私にはほぼ推察ができた。それど
ころか先生はある時こんな感想すら私に洩もらした。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻さい以外の女はほとんど女として私に訴えな いのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって
、私たちは最も幸福に生れた人間の一対いっついであるべきはずです」
私は今前後の行ゆき掛がかりを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせた のか、判然はっきりいう事ができない。けれども先生の態度の真面目まじめであったのと、調子の沈んで
いたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人
間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あ るべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生
の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、
それほど幸福でないのだろうか。私は心の中うちで疑うたぐらざるを得なかった。けれどもその疑いは一 時限りどこかへ葬ほうむられてしまった。
私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人差向さしむかいで話をする機会に出合った。先生はそ
の日横浜よこはまを出帆しゅっぱんする汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋しんばしへ送りに行って 留守であった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃ころの習慣であった。私
はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九
時に訪問した。先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義れいぎとしてその日突然起っ た出来事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。それで私は
座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。 十一
その時の私わたくしはすでに大学生であった。始めて先生の宅うちへ来た頃ころから見るとずっと成人 した気でいた。奥さんとも大分だいぶ懇意になった後のちであった。私は奥さんに対して何の窮屈も感じ
なかった。差向さしむかいで色々の話をした。しかしそれは特色のないただの談話だから、今ではまるで
忘れてしまった。そのうちでたった一つ私の耳に留まったものがある。しかしそれを話す前に、ちょっと 断っておきたい事がある。
先生は大学出身であった。これは始めから私に知れていた。しかし先生の何もしないで遊んでいるとい
う事は、東京へ帰って少し経たってから始めて分った。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った 。
先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思想については、先生と密
切みっせつの関係をもっている私より外ほかに敬意を払うもののあるべきはずがなかった。それを私は常 に惜おしい事だといった。先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口を利きいては済まない」と答
えるぎりで、取り合わなかった。私にはその答えが謙遜けんそん過ぎてかえって世間を冷評するようにも
聞こえた。実際先生は時々昔の同級生で今著名になっている誰彼だれかれを捉とらえて、ひどく無遠慮な 批評を加える事があった。それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々うんぬんしてみた。私の精神は反抗の
意味というよりも、世間が先生を知らないで平気でいるのが残念だったからである。その時先生は沈んだ
調子で、「どうしても私は世間に向かって働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」といった。 先生の顔には深い一種の表情がありありと刻まれた。私にはそれが失望だか、不平だか、悲哀だか、解わ
からなかったけれども、何しろ二の句の継げないほどに強いものだったので、私はそれぎり何もいう勇気
が出なかった。 私が奥さんと話している間に、問題が自然先生の事からそこへ落ちて来た。
「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでし
ょう」 「あの人は駄目だめですよ。そういう事が嫌いなんですから」
「つまり下くだらない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」
「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、おそらくそんな意味じゃ ないでしょう。やっぱり何かやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒ですわ」
「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませんか」
「丈夫ですとも。何にも持病はありません」 「それでなぜ活動ができないんでしょう」
「それが解わからないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こんなに心配しやしません。わか
らないから気の毒でたまらないんです」 奥さんの語気には非常に同情があった。それでも口元だけには微笑が見えた。外側からいえば、私の方
がむしろ真面目まじめだった。私はむずかしい顔をして黙っていた。すると奥さんが急に思い出したよう
にまた口を開いた。 「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。若い時はまるで違っていました。それが全く変ってしまった
んです」
「若い時っていつ頃ですか」と私が聞いた。 「書生時代よ」
「書生時代から先生を知っていらっしゃったんですか」
奥さんは急に薄赤い顔をした。 奥さんは東京の人であった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。奥さんは「
本当いうと合あいの子こなんですよ」といった。奥さんの父親はたしか鳥取とっとりかどこかの出である
のに、お母さんの方はまだ江戸といった時分じぶんの市ヶ谷いちがやで生れた女なので、奥さんは冗談半 分そういったのである。ところが先生は全く方角違いの新潟にいがた県人であった。だから奥さんがもし
先生の書生時代を知っているとすれば、郷里の関係からでない事は明らかであった。しかし薄赤い顔をし
た奥さんはそれより以上の話をしたくないようだったので、私の方でも深くは聞かずにおいた。 先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、私はずいぶん色々の問題で先生の思想や情操に触
れてみたが、結婚当時の状況については、ほとんど何ものも聞き得なかった。私は時によると、それを善
意に解釈してもみた。年輩の先生の事だから、艶なまめかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと 慎つつしんでいるのだろうと思った。時によると、またそれを悪くも取った。先生に限らず、奥さんに限
らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、そういう艶つやっぽい問題にな
ると、正直に自分を開放するだけの勇気がないのだろうと考えた。もっともどちらも推測に過ぎなかった 。そうしてどちらの推測の裏にも、二人の結婚の奥に横たわる花やかなロマンスの存在を仮定していた。
私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描えがき得たに過ぎなかっ
た。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見 惨みじめなものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる
。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊して
しまった。 私は今この悲劇について何事も語らない。その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛につ
いては、先刻さっきいった通りであった。二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。奥さんは慎
みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。 ただ一つ私の記憶に残っている事がある。或ある時花時分はなじぶんに私は先生といっしょに上野うえ
のへ行った。そうしてそこで美しい一対いっついの男女なんにょを見た。彼らは睦むつまじそうに寄り添
って花の下を歩いていた。場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙そばだてている人が沢山あ った。
「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。
「仲が好よさそうですね」と私が答えた。 先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外ほかに置くような方角へ足を向けた。それから私に
こう聞いた。
「君は恋をした事がありますか」 私はないと答えた。
「恋をしたくはありませんか」
私は答えなかった。 「したくない事はないでしょう」
「ええ」
「君は今あの男と女を見て、冷評ひやかしましたね。あの冷評ひやかしのうちには君が恋を求めながら相 手を得られないという不快の声が交まじっていましょう」
「そんな風ふうに聞こえましたか」
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋 は罪悪ですよ。解わかっていますか」
私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。 十三
我々は群集の中にいた。群集はいずれも嬉うれしそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見 えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。
「恋は罪悪ですか」と私わたくしがその時突然聞いた。
「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。 「なぜですか」
「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに
恋で動いているじゃありませんか」 私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何
にもなかった。
「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」 「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」
「今それほど動いちゃいません」
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」 「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」
「恋に上のぼる楷段かいだんなんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たので
す」 「私には二つのものが全く性質を異ことにしているように思われます」
「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特
別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っていま す。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし…
…」
私は変に悲しくなった。 「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだあ
りません」
先生は私の言葉に耳を貸さなかった。 「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もない
が、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」
私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味 は朦朧もうろうとしてよく解わからなかった。その上私は少し不愉快になった。
「先生、罪悪という意味をもっと判然はっきりいって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで
切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」 「悪い事をした。私はあなたに真実まことを話している気でいた。ところが実際は、あなたを焦慮じらし
ていたのだ。私は悪い事をした」
先生と私とは博物館の裏から鶯渓うぐいすだにの方角に静かな歩調で歩いて行った。垣の隙間すきまか ら広い庭の一部に茂る熊笹くまざさが幽邃ゆうすいに見えた。
「君は私がなぜ毎月まいげつ雑司ヶ谷ぞうしがやの墓地に埋うまっている友人の墓へ参るのか知っていま
すか」 先生のこの問いは全く突然であった。しかも先生は私がこの問いに対して答えられないという事もよく
承知していた。私はしばらく返事をしなかった。すると先生は始めて気が付いたようにこういった。
「また悪い事をいった。焦慮じらせるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを 焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれで止やめましょう。とにかく恋は罪悪で
すよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」
私には先生の話がますます解わからなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。 年の若い私わたくしはややともすると一図いちずになりやすかった。少なくとも先生の眼にはそう映っ
ていたらしい。私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思
想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもた だ独ひとりを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。
「あんまり逆上のぼせちゃいけません」と先生がいった。
「覚さめた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を先生は肯う けがってくれなかった。
「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭いやになります。私は今のあなたからそれほどに
思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお 苦しくなります」
「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」
「私はお気の毒に思うのです」 「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」
先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿
つばきの花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺ながめる癖があった。 「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」
その時生垣いけがきの向うで金魚売りらしい声がした。その外ほかには何の聞こえるものもなかった。
大通りから二丁ちょうも深く折れ込んだ小路こうじは存外ぞんがい静かであった。家うちの中はいつもの 通りひっそりしていた。私は次の間まに奥さんのいる事を知っていた。黙って針仕事か何かしている奥さ
んの耳に私の話し声が聞こえるという事も知っていた。しかし私は全くそれを忘れてしまった。
「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。 先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。
「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないよう
になっているのです。自分を呪のろうより外ほかに仕方がないのです」 「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」
「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖こわくなったんで
す」 私はもう少し先まで同じ道を辿たどって行きたかった。すると襖ふすまの陰で「あなた、あなた」とい
う奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次の
間まへ呼んだ。二人の間にどんな用事が起ったのか、私には解わからなかった。それを想像する余裕を与 えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。
「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺あざむかれた返報
に、残酷な復讐ふくしゅうをするようになるものだから」 「そりゃどういう意味ですか」
「かつてはその人の膝ひざの前に跪ひざまずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載のせさせ
ようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥しりぞけたいと思うのです。私は今 より一層淋さびしい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己おの
れとに充みちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょ
う」 私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。
十五 その後ご私わたくしは奥さんの顔を見るたびに気になった。先生は奥さんに対しても始終こういう態度
に出るのだろうか。もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足なのだろうか。 奥さんの様子は満足とも不満足とも極きめようがなかった。私はそれほど近く奥さんに接触する機会が
なかったから。それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。最後に先生のいる席でなければ私と
奥さんとは滅多めったに顔を合せなかったから。 私の疑惑はまだその上にもあった。先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。ただ冷た
い眼で自分を内省したり現代を観察したりした結果なのだろうか。先生は坐すわって考える質たちの人で
あった。先生の頭さえあれば、こういう態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るものだろうか 。私にはそうばかりとは思えなかった。先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。火に焼けて冷却し切った石
造せきぞう家屋の輪廓りんかくとは違っていた。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれど
もその思想家の纏まとめ上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離さ れた他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほど
の事実が、畳み込まれているらしかった。
これは私の胸で推測するがものはない。先生自身すでにそうだと告白していた。ただその告白が雲の峯 みねのようであった。私の頭の上に正体の知れない恐ろしいものを蔽おおい被かぶせた。そうしてなぜそ
れが恐ろしいか私にも解わからなかった。告白はぼうとしていた。それでいて明らかに私の神経を震ふる
わせた。 私は先生のこの人生観の基点に、或ある強烈な恋愛事件を仮定してみた。(無論先生と奥さんとの間に
起った)。先生がかつて恋は罪悪だといった事から照らし合せて見ると、多少それが手掛てがかりにもな
った。しかし先生は現に奥さんを愛していると私に告げた。すると二人の恋からこんな厭世えんせいに近 い覚悟が出ようはずがなかった。「かつてはその人の前に跪ひざまずいたという記憶が、今度はその人の
頭の上に足を載のせさせようとする」といった先生の言葉は、現代一般の誰彼たれかれについて用いられ
るべきで、先生と奥さんの間には当てはまらないもののようでもあった。 雑司ヶ谷ぞうしがやにある誰だれだか分らない人の墓、――これも私の記憶に時々動いた。私はそれが
先生と深い縁故のある墓だという事を知っていた。先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のでき
ない私は、先生の頭の中にある生命いのちの断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。けれども 私に取ってその墓は全く死んだものであった。二人の間にある生命いのちの扉を開ける鍵かぎにはならな
かった。むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。
そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならない時機が来た。その頃こ ろは日の詰つまって行くせわしない秋に、誰も注意を惹ひかれる肌寒はださむの季節であった。先生の附
近ふきんで盗難に罹かかったものが三、四日続いて出た。盗難はいずれも宵の口であった。大したものを
持って行かれた家うちはほとんどなかったけれども、はいられた所では必ず何か取られた。奥さんは気味 をわるくした。そこへ先生がある晩家を空あけなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で
地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外ほかの二、三名と共に、ある所でその友人に飯
めしを食わせなければならなくなった。先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私 私わたくしの行ったのはまだ灯ひの点つくか点かない暮れ方であったが、几帳面きちょうめんな先生は
もう宅うちにいなかった。「時間に後おくれると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さん は、私を先生の書斎へ案内した。
書斎には洋机テーブルと椅子いすの外ほかに、沢山の書物が美しい背皮せがわを並べて、硝子越ガラス
ごしに電燈でんとうの光で照らされていた。奥さんは火鉢の前に敷いた座蒲団ざぶとんの上へ私を坐すわ らせて、「ちっとそこいらにある本でも読んでいて下さい」と断って出て行った。私はちょうど主人の帰
りを待ち受ける客のような気がして済まなかった。私は畏かしこまったまま烟草タバコを飲んでいた。奥
さんが茶の間で何か下女げじょに話している声が聞こえた。書斎は茶の間の縁側を突き当って折れ曲った 角かどにあるので、棟むねの位置からいうと、座敷よりもかえって掛け離れた静かさを領りょうしていた
。ひとしきりで奥さんの話し声が已やむと、後あとはしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持で、
凝じっとしながら気をどこかに配った。 三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。「おや」といって、軽く驚いた時の眼を私
に向けた。そうして客に来た人のように鹿爪しかつめらしく控えている私をおかしそうに見た。
「それじゃ窮屈でしょう」 「いえ、窮屈じゃありません」
「でも退屈でしょう」
「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」 奥さんは手に紅茶茶碗こうちゃぢゃわんを持ったまま、笑いながらそこに立っていた。
「ここは隅っこだから番をするには好よくありませんね」と私がいった。
「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴ちょうだい。ご退屈たいくつだろうと思って、お茶を入れて 持って来たんですが、茶の間で宜よろしければあちらで上げますから」
私は奥さんの後あとに尾ついて書斎を出た。茶の間には綺麗きれいな長火鉢ながひばちに鉄瓶てつびん
が鳴っていた。私はそこで茶と菓子のご馳走ちそうになった。奥さんは寝ねられないといけないといって 、茶碗に手を触れなかった。
「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛でかけになるんですか」
「いいえ滅多めったに出た事はありません。近頃ちかごろは段々人の顔を見るのが嫌きらいになるようで す」
こういった奥さんの様子に、別段困ったものだという風ふうも見えなかったので、私はつい大胆になっ
た。 「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」
「いいえ私も嫌われている一人なんです」
「そりゃ嘘うそです」と私がいった。「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう」 「なぜ」
「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」
「あなたは学問をする方かただけあって、なかなかお上手じょうずね。空からっぽな理屈を使いこなす事 が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同お
んなじ理屈で」
「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」 「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空からの盃さかずきでよくああ飽きず
に献酬けんしゅうができると思いますわ」
奥さんの言葉は少し手痛てひどかった。しかしその言葉の耳障みみざわりからいうと、決して猛烈なも のではなかった。自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出みいだすほどに奥さ
んは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。 十七
私わたくしはまだその後あとにいうべき事をもっていた。けれども奥さんから徒いたずらに議論を仕掛 ける男のように取られては困ると思って遠慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗こうちゃぢゃわんの底を
覗のぞいて黙っている私を外そらさないように、「もう一杯上げましょうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を
奥さんの手に渡した。 「いくつ? 一つ? 二ッつ?」
妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の数かずを聞いた。
奥さんの態度は私に媚こびるというほどではなかったけれども、先刻さっきの強い言葉を力つとめて打ち 消そうとする愛嬌あいきょうに充みちていた。
私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。
「あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。 「何かいうとまた議論を仕掛けるなんて、叱しかり付けられそうですから」と私は答えた。
「まさか」と奥さんが再びいった。
二人はそれを緒口いとくちにまた話を始めた。そうしてまた二人に共通な興味のある先生を問題にした 。
「奥さん、先刻さっきの続きをもう少しいわせて下さいませんか。奥さんには空からな理屈と聞こえるか
も知れませんが、私はそんな上うわの空そらでいってる事じゃないんだから」 「じゃおっしゃい」
「今奥さんが急にいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるでしょうか」
「そりゃ分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外ほかに仕方がないじゃありませんか。 私の所へ持って来る問題じゃないわ」
「奥さん、私は真面目まじめですよ。だから逃げちゃいけません。正直に答えなくっちゃ」
「正直よ。正直にいって私には分らないのよ」 「じゃ奥さんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんですか。これは先生に聞くよりむしろ奥さんに伺
っていい質問ですから、あなたに伺います」
「何もそんな事を開き直って聞かなくっても好いいじゃありませんか」 「真面目くさって聞くがものはない。分り切ってるとおっしゃるんですか」
「まあそうよ」
「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら、先生はどうなるんでしょう。世の中のどっちを 向いても面白そうでない先生は、あなたが急にいなくなったら後でどうなるでしょう。先生から見てじゃ
ない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になるでしょうか、不幸になるでしょうか」
「そりゃ私から見れば分っています。(先生はそう思っていないかも知れませんが)。先生は私を離れれ ば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかも知れませんよ。そういうと、己惚おのぼれになる
ようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっ
ても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いてい られるんです」
「その信念が先生の心に好よく映るはずだと私は思いますが」
「それは別問題ですわ」 「やっぱり先生から嫌われているとおっしゃるんですか」
「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳がないんですもの。しかし先生は世間が嫌いなんでしょう
。世間というより近頃ちかごろでは人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人いちにん として、私も好かれるはずがないじゃありませんか」
奥さんの嫌われているという意味がやっと私に呑のみ込めた。 十八
私わたくしは奥さんの理解力に感心した。奥さんの態度が旧式の日本の女らしくないところも私の注意 に一種の刺戟しげきを与えた。それで奥さんはその頃ころ流行はやり始めたいわゆる新しい言葉などはほ
とんど使わなかった。
私は女というものに深い交際つきあいをした経験のない迂闊うかつな青年であった。男としての私は、 異性に対する本能から、憧憬どうけいの目的物として常に女を夢みていた。けれどもそれは懐かしい春の
雲を眺ながめるような心持で、ただ漠然ばくぜんと夢みていたに過ぎなかった。だから実際の女の前へ出
ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、 その場に臨んでかえって変な反撥力はんぱつりょくを感じた。奥さんに対した私にはそんな気がまるで出
なかった。普通男女なんにょの間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起らなかった。私は奥さ
んの女であるという事を忘れた。私はただ誠実なる先生の批評家および同情家として奥さんを眺めた。 「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に
、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」
「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」 「どんなだったんですか」
「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」
「それがどうして急に変化なすったんですか」 「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」
「奥さんはその間あいだ始終先生といっしょにいらしったんでしょう」
「無論いましたわ。夫婦ですもの」 「じゃ先生がそう変って行かれる源因げんいんがちゃんと解わかるべきはずですがね」
「それだから困るのよ。あなたからそういわれると実に辛つらいんですが、私にはどう考えても、考えよ
うがないんですもの。私は今まで何遍なんべんあの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分り ゃしません」
「先生は何とおっしゃるんですか」
「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったんだからというだけで、 取り合ってくれないんです」
私は黙っていた。奥さんも言葉を途切とぎらした。下女部屋げじょべやにいる下女はことりとも音をさ
せなかった。私はまるで泥棒の事を忘れてしまった。 「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。
「いいえ」と私が答えた。
「どうぞ隠さずにいって下さい。そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」と奥さんがまたいっ た。「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているつもりなんです」
「そりゃ先生もそう認めていられるんだから、大丈夫です。ご安心なさい、私が保証します」
奥さんは火鉢の灰を掻かき馴ならした。それから水注みずさしの水を鉄瓶てつびんに注さした。鉄瓶は 忽たちまち鳴りを沈めた。
「私はとうとう辛防しんぼうし切れなくなって、先生に聞きました。私に悪い所があるなら遠慮なくいっ
て下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点は おれの方にあるだけだというんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなお
の事自分の悪い所が聞きたくなるんです」
奥さんは眼の中うちに涙をいっぱい溜ためた。 始め私わたくしは理解のある女性にょしょうとして奥さんに対していた。私がその気で話しているうち
に、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓ハートを動かし始め
た。自分と夫の間には何の蟠わだかまりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに 眼を開あけて見極みきわめようとすると、やはり何なんにもない。奥さんの苦にする要点はここにあった
。
奥さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的えんせいてきだから、その結果として自分も嫌われている のだと断言した。そう断言しておきながら、ちっともそこに落ち付いていられなかった。底を割ると、か
えってその逆を考えていた。先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中まで厭いやになったのだろうと推測
していた。けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事ができなかった。先生の態度 はどこまでも良人おっとらしかった。親切で優しかった。疑いの塊かたまりをその日その日の情合じょう
あいで包んで、そっと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けて見せた。
「あなたどう思って?」と聞いた。「私からああなったのか、それともあなたのいう人世観じんせいかん とか何とかいうものから、ああなったのか。隠さずいって頂戴ちょうだい」
私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば、私の答え
が何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなかった。そうして私はそこに私の知らないあるもの があると信じていた。
「私には解わかりません」
奥さんは予期の外はずれた時に見る憐あわれな表情をその咄嗟とっさに現わした。私はすぐ私の言葉を 継ぎ足した。
「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。私は先生自身の口から聞いた通り
を奥さんに伝えるだけです。先生は嘘うそを吐つかない方かたでしょう」 奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこういった。
「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」
「先生がああいう風ふうになった源因げんいんについてですか」 「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれる
んですが、……」
「どんな事ですか」 奥さんはいい渋って膝ひざの上に置いた自分の手を眺めていた。
「あなた判断して下すって。いうから」
「私にできる判断ならやります」 「みんなはいえないのよ。みんないうと叱しかられるから。叱られないところだけよ」
私は緊張して唾液つばきを呑のみ込んだ。
「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好いいお友達が一人あったのよ。その方かたがちょうど卒業する 少し前に死んだんです。急に死んだんです」
奥さんは私の耳に私語ささやくような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうし
て」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。 「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後のちなんです。先生の性質が段々変って
来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれ
どもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」 「その人の墓ですか、雑司ヶ谷ぞうしがやにあるのは」
「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化
できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪たまらないんです。だからそこを一つあなたに判断し て頂きたいと思うの」
私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。 二十
私わたくしは私のつらまえた事実の許す限り、奥さんを慰めようとした。奥さんもまたできるだけ私に よって慰められたそうに見えた。それで二人は同じ問題をいつまでも話し合った。けれども私はもともと
事の大根おおねを攫つかんでいなかった。奥さんの不安も実はそこに漂ただよう薄い雲に似た疑惑から出
て来ていた。事件の真相になると、奥さん自身にも多くは知れていなかった。知れているところでも悉皆 すっかりは私に話す事ができなかった。したがって慰める私も、慰められる奥さんも、共に波に浮いて、
ゆらゆらしていた。ゆらゆらしながら、奥さんはどこまでも手を出して、覚束おぼつかない私の判断に縋
すがり付こうとした。 十時頃ごろになって先生の靴の音が玄関に聞こえた時、奥さんは急に今までのすべてを忘れたように、
前に坐すわっている私をそっちのけにして立ち上がった。そうして格子こうしを開ける先生をほとんど出
合であい頭がしらに迎えた。私は取り残されながら、後あとから奥さんに尾ついて行った。下女げじょだ けは仮寝うたたねでもしていたとみえて、ついに出て来なかった。
先生はむしろ機嫌がよかった。しかし奥さんの調子はさらによかった。今しがた奥さんの美しい眼のう
ちに溜たまった涙の光と、それから黒い眉毛まゆげの根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変 化を異常なものとして注意深く眺ながめた。もしそれが詐いつわりでなかったならば、(実際それは詐り
とは思えなかったが)、今までの奥さんの訴えは感傷センチメントを玩もてあそぶためにとくに私を相手
に拵こしらえた、徒いたずらな女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそ れほど批評的に見る気は起らなかった。私は奥さんの態度の急に輝いて来たのを見て、むしろ安心した。
これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。
先生は笑いながら「どうもご苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞いた。それから「来ないん で張合はりあいが抜けやしませんか」といった。
帰る時、奥さんは「どうもお気の毒さま」と会釈した。その調子は忙しいところを暇を潰つぶさせて気
の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはいらなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。奥 さんはそういいながら、先刻さっき出した西洋菓子の残りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれを
袂たもとへ入れて、人通りの少ない夜寒よさむの小路こうじを曲折して賑にぎやかな町の方へ急いだ。
私はその晩の事を記憶のうちから抽ひき抜いてここへ詳くわしく書いた。これは書くだけの必要がある から書いたのだが、実をいうと、奥さんに菓子を貰もらって帰るときの気分では、それほど当夜の会話を
重く見ていなかった。私はその翌日よくじつ午飯ひるめしを食いに学校から帰ってきて、昨夜ゆうべ机の
上に載のせて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った鳶色とびいろのカステラ を出して頬張ほおばった。そうしてそれを食う時に、必竟ひっきょうこの菓子を私にくれた二人の男女な
んにょは、幸福な一対いっついとして世の中に存在しているのだと自覚しつつ味わった。
秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生の宅うちへ出ではいりをするついでに、衣服の 洗あらい張はりや仕立したて方かたなどを奥さんに頼んだ。それまで繻絆じゅばんというものを着た事の
ない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。子供のな
い奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌たいくつしのぎになって、結句けっく身体からだの 薬だぐらいの事をいっていた。
「こりゃ手織ておりね。こんな地じの好いい着物は今まで縫った事がないわ。その代り縫い悪にくいのよ
そりゃあ。まるで針が立たないんですもの。お蔭かげで針を二本折りましたわ」 こんな苦情をいう時ですら、奥さんは別に面倒めんどうくさいという顔をしなかった。
二十一 冬が来た時、私わたくしは偶然国へ帰らなければならない事になった。私の母から受け取った手紙の中
に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今という心配もあるまいが、年が年だから、できる なら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。
父はかねてから腎臓じんぞうを病んでいた。中年以後の人にしばしば見る通り、父のこの病やまいは慢
性であった。その代り要心さえしていれば急変のないものと当人も家族のものも信じて疑わなかった。現 に父は養生のお蔭かげ一つで、今日こんにちまでどうかこうか凌しのいで来たように客が来ると吹聴ふい
ちょうしていた。その父が、母の書信によると、庭へ出て何かしている機はずみに突然眩暈めまいがして
引ッ繰り返った。家内かないのものは軽症の脳溢血のういっけつと思い違えて、すぐその手当をした。後 あとで医者からどうもそうではないらしい、やはり持病の結果だろうという判断を得て、始めて卒倒と腎
臓病とを結び付けて考えるようになったのである。
冬休みが来るにはまだ少し間まがあった。私は学期の終りまで待っていても差支さしつかえあるまいと 思って一日二日そのままにしておいた。するとその一日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配し
ている顔だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを嘗なめた私は、とうとう帰る決心をした
。国から旅費を送らせる手数てかずと時間を省くため、私は暇乞いとまごいかたがた先生の所へ行って、 要いるだけの金を一時立て替えてもらう事にした。
先生は少し風邪かぜの気味で、座敷へ出るのが臆劫おっくうだといって、私をその書斎に通した。書斎
の硝子戸ガラスどから冬に入いって稀まれに見るような懐かしい和やわらかな日光が机掛つくえかけの上 に射さしていた。先生はこの日あたりの好いい室へやの中へ大きな火鉢を置いて、五徳ごとくの上に懸け
た金盥かなだらいから立ち上あがる湯気ゆげで、呼吸いきの苦しくなるのを防いでいた。
「大病は好いいが、ちょっとした風邪かぜなどはかえって厭いやなものですね」といった先生は、苦笑し ながら私の顔を見た。
先生は病気という病気をした事のない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。
「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平まっぴらです。先生だって同じ事でしょう。 試みにやってご覧になるとよく解わかります」
「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病に罹かかりたいと思ってる」
私は先生のいう事に格別注意を払わなかった。すぐ母の手紙の話をして、金の無心を申し出た。 「そりゃ困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持って行きたまえ」
先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の茶箪笥ちゃだんすか何か
の抽出ひきだしから出して来た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧ていねいに重ねて、「そりゃご心配ですね 」といった。
「何遍なんべんも卒倒したんですか」と先生が聞いた。
「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」 「ええ」
先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事が始めて私に解った。
「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。 「そうさね。私が代られれば代ってあげても好いいが。――嘔気はきけはあるんですか」
「どうですか、何とも書いてないから、大方おおかたないんでしょう」
「吐気さえ来なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんがいった。 父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床とこの上に胡坐あぐらをかいて、「み
んなが心配するから、まあ我慢してこう凝じっとしている。なにもう起きても好いいのさ」といった。し かしその翌日よくじつからは母が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。母は不承無性
ふしょうぶしょうに太織ふとおりの蒲団ふとんを畳みながら「お父さんはお前が帰って来たので、急に気
が強くおなりなんだよ」といった。私わたくしには父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなか った。
私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。これは万一の事がある場合でなければ、容易に父母ちちはは
の顔を見る自由の利きかない男であった。妹は他国へ嫁とついだ。これも急場の間に合うように、おいそ れと呼び寄せられる女ではなかった。兄妹きょうだい三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしてい
る私だけであった。その私が母のいい付け通り学校の課業を放ほうり出して、休み前に帰って来たという
事が、父には大きな満足であった。 「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。お母さんがあまり仰山ぎょうさんな手紙を書くものだか
らいけない」
父は口ではこういった。こういったばかりでなく、今まで敷いていた床とこを上げさせて、いつものよ うな元気を示した。
「あんまり軽はずみをしてまた逆回ぶりかえすといけませんよ」
私のこの注意を父は愉快そうにしかし極きわめて軽く受けた。 「なに大丈夫、これでいつものように要心ようじんさえしていれば」
実際父は大丈夫らしかった。家の中を自由に往来して、息も切れなければ、眩暈めまいも感じなかった
。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったが、これはまた今始まった症状でもないので、私たちは格 別それを気に留めなかった。
私は先生に手紙を書いて恩借おんしゃくの礼を述べた。正月上京する時に持参するからそれまで待って
くれるようにと断わった。そうして父の病状の思ったほど険悪でない事、この分なら当分安心な事、眩暈 も嘔気はきけも皆無な事などを書き連ねた。最後に先生の風邪ふうじゃについても一言いちごんの見舞を
附つけ加えた。私は先生の風邪を実際軽く見ていたので。
私はその手紙を出す時に決して先生の返事を予期していなかった。出した後で父や母と先生の噂うわさ などをしながら、遥はるかに先生の書斎を想像した。
「こんど東京へ行くときには椎茸しいたけでも持って行ってお上げ」
「ええ、しかし先生が干した椎茸なぞを食うかしら」 「旨うまくはないが、別に嫌きらいな人もないだろう」
私には椎茸と先生を結び付けて考えるのが変であった。
先生の返事が来た時、私はちょっと驚かされた。ことにその内容が特別の用件を含んでいなかった時、 驚かされた。先生はただ親切ずくで、返事を書いてくれたんだと私は思った。そう思うと、その簡単な一
本の手紙が私には大層な喜びになった。もっともこれは私が先生から受け取った第一の手紙には相違なか
ったが。 第一というと私と先生の間に書信の往復がたびたびあったように思われるが、事実は決してそうでない
事をちょっと断わっておきたい。私は先生の生前にたった二通の手紙しか貰もらっていない。その一通は
今いうこの簡単な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに私宛あてで書いた大変長いものである。 父は病気の性質として、運動を慎まなければならないので、床を上げてからも、ほとんど戸外そとへは
出なかった。一度天気のごく穏やかな日の午後庭へ下りた事があるが、その時は万一を気遣きづかって、
私が引き添うように傍そばに付いていた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせようとしても、父は笑っ 私わたくしは退屈な父の相手としてよく将碁盤しょうぎばんに向かった。二人とも無精な性質たちなの
で、炬燵こたつにあたったまま、盤を櫓やぐらの上へ載のせて、駒こまを動かすたびに、わざわざ手を掛 蒲団かけぶとんの下から出すような事をした。時々持駒もちごまを失なくして、次の勝負の来るまで双方
とも知らずにいたりした。それを母が灰の中から見付みつけ出して、火箸ひばしで挟はさみ上げるという
滑稽こっけいもあった。 「碁ごだと盤が高過ぎる上に、足が着いているから、炬燵の上では打てないが、そこへ来ると将碁盤は好
いいね、こうして楽に差せるから。無精者には持って来いだ。もう一番やろう」
父は勝った時は必ずもう一番やろうといった。そのくせ負けた時にも、もう一番やろうといった。要す るに、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差したがる男であった。始めのうちは珍しいので、こ
の隠居いんきょじみた娯楽が私にも相当の興味を与えたが、少し時日が経たつに伴つれて、若い私の気力
はそのくらいな刺戟しげきで満足できなくなった。私は金きんや香車きょうしゃを握った拳こぶしを頭の 上へ伸ばして、時々思い切ったあくびをした。
私は東京の事を考えた。そうして漲みなぎる心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動こどうを
聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているように感じた 。
私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分
らないほど大人おとなしい男であった。他ひとに認められるという点からいえばどっちも零れいであった 。それでいて、この将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。かつて遊
興のために往来ゆききをした覚おぼえのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつか私の頭に
影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷ひややか過ぎるから、私は胸といい直したい。肉のなか に先生の力が喰くい込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私に
は少しも誇張でないように思われた。私は父が私の本当の父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの
他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのご とくに驚いた。
私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今まで珍しかった私が段々陳腐ちんぷになって来た。
これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間ぐらいは下にも 置かないように、ちやほや歓待もてなされるのに、その峠を定規通ていきどおり通り越すと、あとはそろ
そろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもののように粗末に取り扱われがち
になるものである。私も滞在中にその峠を通り越した。その上私は国へ帰るたびに、父にも母にも解わか らない変なところを東京から持って帰った。昔でいうと、儒者じゅしゃの家へ切支丹キリシタンの臭にお
いを持ち込むように、私の持って帰るものは父とも母とも調和しなかった。無論私はそれを隠していた。
けれども元々身に着いているものだから、出すまいと思っても、いつかそれが父や母の眼に留とまった。 私はつい面白くなくなった。早く東京へ帰りたくなった。
父の病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。念のためにわざわざ遠く
から相当の医者を招いたりして、慎重に診察してもらってもやはり私の知っている以外に異状は認められ なかった。私は冬休みの尽きる少し前に国を立つ事にした。立つといい出すと、人情は妙なもので、父も
母も反対した。
「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母がいった。 「まだ四、五日いても間に合うんだろう」と父がいった。
私は自分の極きめた出立しゅったつの日を動かさなかった。 二十四
東京へ帰ってみると、松飾まつかざりはいつか取り払われていた。町は寒い風の吹くに任せて、どこを 見てもこれというほどの正月めいた景気はなかった。
私わたくしは早速さっそく先生のうちへ金を返しに行った。例の椎茸しいたけもついでに持って行った
。ただ出すのは少し変だから、母がこれを差し上げてくれといいましたとわざわざ断って奥さんの前へ置 いた。椎茸は新しい菓子折に入れてあった。鄭寧ていねいに礼を述べた奥さんは、次の間まへ立つ時、そ
の折を持って見て、軽いのに驚かされたのか、「こりゃ何の御菓子おかし」と聞いた。奥さんは懇意にな
ると、こんなところに極きわめて淡泊たんぱくな小供こどもらしい心を見せた。 二人とも父の病気について、色々掛念けねんの問いを繰り返してくれた中に、先生はこんな事をいった
。
「なるほど容体ようだいを聞くと、今が今どうという事もないようですが、病気が病気だからよほど気を つけないといけません」
先生は腎臓じんぞうの病やまいについて私の知らない事を多く知っていた。
「自分で病気に罹かかっていながら、気が付かないで平気でいるのがあの病の特色です。私の知ったある 士官しかんは、とうとうそれでやられたが、全く嘘うそのような死に方をしたんですよ。何しろ傍そばに
寝ていた細君さいくんが看病をする暇もなんにもないくらいなんですからね。夜中にちょっと苦しいとい
って、細君を起したぎり、翌あくる朝はもう死んでいたんです。しかも細君は夫が寝ているとばかり思っ てたんだっていうんだから」
今まで楽天的に傾いていた私は急に不安になった。
「私の父おやじもそんなになるでしょうか。ならんともいえないですね」 「医者は何というのです」
「医者は到底とても治らないというんです。けれども当分のところ心配はあるまいともいうんです」
「それじゃ好いいでしょう。医者がそういうなら。私の今話したのは気が付かずにいた人の事で、しかも それがずいぶん乱暴な軍人なんだから」
私はやや安心した。私の変化を凝じっと見ていた先生は、それからこう付け足した。
「しかし人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆もろいものですね。いつどんな事でどんな死に ようをしないとも限らないから」
「先生もそんな事を考えてお出いでですか」
「いくら丈夫の私でも、満更まんざら考えない事もありません」 先生の口元には微笑の影が見えた。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間まに死ぬ人もあるでしょ
う。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解わからないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭かげですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
その日はそれで帰った。帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。先生のいった自然に死ぬ
とか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉も、その場限りの浅い印象を与えただけで、後あとは何らのこだ わりを私の頭に残さなかった。私は今まで幾度いくたびか手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論文
を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。 二十五
その年の六月に卒業するはずの私わたくしは、ぜひともこの論文を成規通せいきどおり四月いっぱいに 書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し
自分の度胸を疑うたぐった。他ほかのものはよほど前から材料を蒐あつめたり、ノートを溜ためたりして
、余所目よそめにも忙いそがしそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年 が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽たちまち動
けなくなった。今まで大きな問題を空くうに描えがいて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいに考え
ていた私は、頭を抑おさえて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思 想を系統的に纏まとめる手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょ
っと付け加える事にした。
私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選択について先生の意見を 尋ねた時、先生は好いいでしょうといった。狼狽ろうばいした気味の私は、早速さっそく先生の所へ出掛
けて、私の読まなければならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与え
てくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの点について毫ごうも私を指導 する任に当ろうとしなかった。
「近頃ちかごろはあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。学校の先生に聞いた方が好い
でしょう」 先生は一時非常の読書家であったが、その後ごどういう訳か、前ほどこの方面に興味が働かなくなった
ようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、
そぞろに口を開いた。 「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」
「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらくならないと思うせいでし
ょう。それから……」 「それから、まだあるんですか」
「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥
のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出した ものだから、つい無理にも本を読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い
込んだのです」
先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味くみを帯びていなかっただけに、私に はそれほどの手応てごたえもなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代りに、偉いとも感心せずに
帰った。
それからの私はほとんど論文に祟たたられた精神病者のように眼を赤くして苦しんだ。私は一年前ぜん に卒業した友達について、色々様子を聞いてみたりした。そのうちの一人いちにんは締切しめきりの日に
車で事務所へ馳かけつけて漸ようやく間に合わせたといった。他の一人は五時を十五分ほど後おくらして
持って行ったため、危あやうく跳はね付けられようとしたところを、主任教授の好意でやっと受理しても らったといった。私は不安を感ずると共に度胸を据すえた。毎日机の前で精根のつづく限り働いた。でな
ければ、薄暗い書庫にはいって、高い本棚のあちらこちらを見廻みまわした。私の眼は好事家こうずかが
骨董こっとうでも掘り出す時のように背表紙の金文字をあさった。 梅が咲くにつけて寒い風は段々向むきを南へ更かえて行った。それが一仕切ひとしきり経たつと、桜の
噂うわさがちらほら私の耳に聞こえ出した。それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て、論文に鞭むち
うたれた。私はついに四月の下旬が来て、やっと予定通りのものを書き上げるまで、先生の敷居を跨また 私わたくしの自由になったのは、八重桜やえざくらの散った枝にいつしか青い葉が霞かすむように伸び
始める初夏の季節であった。私は籠かごを抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目ひとめに見渡し ながら、自由に羽搏はばたきをした。私はすぐ先生の家うちへ行った。枳殻からたちの垣が黒ずんだ枝の
上に、萌もえるような芽を吹いていたり、柘榴ざくろの枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔ら
かそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。私は生れて初めてそんなものを見るよ うな珍しさを覚えた。
先生は嬉うれしそうな私の顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といった。私は「
お蔭かげでようやく済みました。もう何にもする事はありません」といった。 実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了けつりょうして、これから先は威張って
遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。私は書き上げた自分の論文に対して充分の自信と満足
をもっていた。私は先生の前で、しきりにその内容を喋々ちょうちょうした。先生はいつもの調子で、「 なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上の批評は少しも加えなかった。私は物足
りないというよりも、聊いささか拍子抜けの気味であった。それでもその日私の気力は、因循いんじゅん
らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生々いきいきしていた。私は青く蘇生よみがえろうとする 大きな自然の中に、先生を誘い出そうとした。
「先生どこかへ散歩しましょう。外へ出ると大変好いい心持です」
「どこへ」 私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴つれて郊外へ出たかった。
一時間の後のち、先生と私は目的どおり市を離れて、村とも町とも区別の付かない静かな所を宛あても
なく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい葉を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)もぎ 取って芝笛しばぶえを鳴らした。ある鹿児島人かごしまじんを友達にもって、その人の真似まねをしつつ
自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であった。私が得意にそれを吹きつづける
と、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。 やがて若葉に鎖とざされたように蓊欝こんもりした小高い一構ひとかまえの下に細い路みちが開ひらけ
た。門の柱に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだらだ
ら上のぼりになっている入口を眺ながめて、「はいってみようか」といった。私はすぐ「植木屋ですね」 と答えた。
植込うえこみの中を一ひとうねりして奥へ上のぼると左側に家うちがあった。明け放った障子しょうじ
の内はがらんとして人の影も見えなかった。ただ軒先のきさきに据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が 動いていた。
「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」
「構わないでしょう」 二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅つつじが燃えるように咲き乱れ
ていた。先生はそのうちで樺色かばいろの丈たけの高いのを指して、「これは霧島きりしまでしょう」と
いった。 芍薬しゃくやくも十坪とつぼあまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けてい
るのは一本もなかった。この芍薬畠ばたけの傍そばにある古びた縁台のようなものの上に先生は大の字な
りに寝た。私はその余った端はじの方に腰をおろして烟草タバコを吹かした。先生は蒼あおい透すき徹と おるような空を見ていた。私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺ながめ
ると、一々違っていた。同じ楓かえでの樹きでも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉
苗の頂いただきに投げ被かぶせてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。 私わたくしはすぐその帽子を取り上げた。所々ところどころに着いている赤土を爪つめで弾はじきなが
ら先生を呼んだ。
「先生帽子が落ちました」 「ありがとう」
身体からだを半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、
変な事を私に聞いた。 「突然だが、君の家うちには財産がよっぽどあるんですか」
「あるというほどありゃしません」
「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」 「どのくらいって、山と田地でんぢが少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」
先生が私の家いえの経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ
先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして 遊んでいられるかを疑うたぐった。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな
露骨あらわな問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲
れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」
「私は財産家と見えますか」
先生は平生からむしろ質素な服装なりをしていた。それに家内かないは小人数こにんずであった。した がって住宅も決して広くはなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私
の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは贅沢ぜいたくといえないまでも、あたじけなく切り詰
めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家う
ちでも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐あぐらをかいていたが、こういい終ると、竹の杖つえの先で
地面の上へ円のようなものを描かき始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直まっす
ぐに立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」
先生の言葉は半分独ひとり言ごとのようであった。それですぐ後あとに尾ついて行き損なった私は、つ
い黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも
何とも答えなかった。むしろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他よそへ移し
た。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」
私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替かわせと共に来る簡
単な手紙は、例の通り父の手蹟しゅせきであったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。 その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫ふるえが少しも筆の運はこびを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好いいんでしょう」
「好よければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」
「そうですか」
私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かん だままをその通り口にする、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付
ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない私は無論そこに気が付くはずがなかった。 二十八
「君のうちに財産があるなら、今のうちによく始末をつけてもらっておかないといけないと思うがね、余 計なお世話だけれども。君のお父さんが達者なうちに、貰もらうものはちゃんと貰っておくようにしたら
どうですか。万一の事があったあとで、一番面倒の起るのは財産の問題だから」
「ええ」 私わたくしは先生の言葉に大した注意を払わなかった。私の家庭でそんな心配をしているものは、私に
限らず、父にしろ母にしろ、一人もないと私は信じていた。その上先生のいう事の、先生として、あまり
に実際的なのに私は少し驚かされた。しかしそこは年長者に対する平生の敬意が私を無口にした。 「あなたのお父さんが亡くなられるのを、今から予想してかかるような言葉遣ことばづかいをするのが気
に触さわったら許してくれたまえ。しかし人間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬ
か分らないものだからね」 先生の口気こうきは珍しく苦々しかった。
「そんな事をちっとも気に掛けちゃいません」と私は弁解した。
「君の兄弟きょうだいは何人でしたかね」と先生が聞いた。 先生はその上に私の家族の人数にんずを聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父おじや叔母おばの様子
を問いなどした。そうして最後にこういった。
「みんな善いい人ですか」 「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者いなかものですから」
「田舎者はなぜ悪くないんですか」
私はこの追窮ついきゅうに苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚しんせきなぞ
の中うちに、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間
が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型いかたに入れたような悪人は世の中にあるはずが ありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという
間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとした。すると後うしろの 方で犬が急に吠ほえ出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。
縁台の横から後部へ掛けて植え付けてある杉苗の傍そばに、熊笹くまざさが三坪みつぼほど地を隠すよ
うに茂って生えていた。犬はその顔と背を熊笹の上に現わして、盛んに吠え立てた。そこへ十とおぐらい の小供こどもが馳かけて来て犬を叱しかり付けた。小供は徽章きしょうの着いた黒い帽子を被かぶったま
ま先生の前へ廻まわって礼をした。
「叔父さん、はいって来る時、家うちに誰だれもいなかったかい」と聞いた。 「誰もいなかったよ」
「姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに」
「そうか、いたのかい」 「ああ。叔父さん、今日こんちはって、断ってはいって来ると好よかったのに」
先生は苦笑した。懐中ふところから蟇口がまぐちを出して、五銭の白銅はくどうを小供の手に握らせた
。 「おっかさんにそういっとくれ。少しここで休まして下さいって」
小供は怜悧りこうそうな眼に笑わらいを漲みなぎらして、首肯うなずいて見せた。
「今斥候長せっこうちょうになってるところなんだよ」 小供はこう断って、躑躅つつじの間を下の方へ駈け下りて行った。犬も尻尾しっぽを高く巻いて小供の
後を追い掛けた。しばらくすると同じくらいの年格好の小供が二、三人、これも斥候長の下りて行った方
へ駈けていった。 先生の談話は、この犬と小供のために、結末まで進行する事ができなくなったので、私はついにその要
領を得ないでしまった。先生の気にする財産云々うんぬんの掛念けねんはその時の私わたくしには全くな
かった。私の性質として、また私の境遇からいって、その時の私には、そんな利害の念に頭を悩ます余地 がなかったのである。考えるとこれは私がまだ世間に出ないためでもあり、また実際その場に臨まないた
めでもあったろうが、とにかく若い私にはなぜか金の問題が遠くの方に見えた。
先生の話のうちでただ一つ底まで聞きたかったのは、人間がいざという間際に、誰でも悪人になるとい う言葉の意味であった。単なる言葉としては、これだけでも私に解わからない事はなかった。しかし私は
この句についてもっと知りたかった。
犬と小供こどもが去ったあと、広い若葉の園は再び故もとの静かさに帰った。そうして我々は沈黙に鎖 とざされた人のようにしばらく動かずにいた。うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。眼の前
にある樹きは大概楓かえでであったが、その枝に滴したたるように吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなっ
て行くように思われた。遠い往来を荷車を引いて行く響きがごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植 木か何かを載せて縁日えんにちへでも出掛けるものと想像した。先生はその音を聞くと、急に瞑想めいそ
うから呼息いきを吹き返した人のように立ち上がった。
「もう、そろそろ帰りましょう。大分だいぶ日が永くなったようだが、やっぱりこう安閑としているうち には、いつの間にか暮れて行くんだね」
先生の背中には、さっき縁台の上に仰向あおむきに寝た痕あとがいっぱい着いていた。私は両手でそれ
を払い落した。 「ありがとう。脂やにがこびり着いてやしませんか」
「綺麗きれいに落ちました」
「この羽織はつい此間こないだ拵こしらえたばかりなんだよ。だからむやみに汚して帰ると、妻さいに叱 このスレッドは1000を超えました。
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