ハリー・ポッター -Harry Must Die- 作:リョース
ギャグのようで真面目なようでマー髭な感じで頑張っていこうと思います。
タグは随時増やしていく予定です。
1.生き残った男の子
ハリー・ポッターは目を覚ました。
階段下の物置を住処とするこの十歳の子供は、実にみすぼらしい身なりをしている。
好き勝手に伸び散らかしてツンツンした黒い髪の毛、ガリガリにやせ細った矮躯、年下の子供もかくやというほどの低身長。かつて愛用していたボロボロの眼鏡は、レンズが割れてどこかへ行ってしまったので無用の長物と化し物置の棚に放置してある。
そして額には稲妻型の傷跡がある。これは小さい頃にできたものであると聞かされているが、ハリーはこの傷が嫌いだった。鏡を見るといつも見えてしまうので、前髪を伸ばして目元を隠すようにもなった。
時刻は朝の五時半。
一般的な起床時間としては少々早い程度だが、十歳の子供が起きる時間には早すぎる。
それは現在住まわせてもらっている家の主――ダーズリー家から決められたルールであり、絶対に破ってはならない従うべき事項であるというものが理由だ。
ハリー・ポッターは物心もつかぬほど幼い頃、両親を亡くした。
死因は交通事故と聞いている。
その際、運良く……いや、運悪く生き残った子供がハリーであった。
ハリーの両親はとんだろくでなしであったと、ペチュニア・ダーズリー夫人は言う。
それを幼いハリーへ面と向かって言うのだから、ハリー自身、自らの両親がひどい存在であったのだろうという、諦観に似た認識を持っていた。
だからもう、亡き両親への興味はない。
そんな親のもとに生まれた身は親戚中を転々とし、遂に引き取ったのがダーズリー家とのこと。
初めて自らの境遇に疑問を持って叔母たるペチュニアに問うたところ、この答えとともに「質問をしてはならない」というルールが追加されてしまった。
それ以降、ハリーは幾度か自らの出自に関する問いをしたが、そのルールに抵触する事の危険さを身を持って思い知ったため、現在そのような愚行を犯すことはない。
ハリーの毎日は、こうだ。
朝、五時半に起床。
庭の掃除と、家の前の掃除を手早く済ませる。
その際に用いられるのはボロの竹箒で、これが壊れると素手でやらざるを得ない。
プリベット通りの住人に見つからぬようこれを終えると、次は朝食の支度。
大量のベーコンとスクランブルエッグ。卵料理はポーチドエッグに変わることもある。
トーストは家とは反対方向、ハリーが通う学校の向こうにあるスーパーで売っている、健康志向の食パンを使ったものを綺麗な狐色になるまで焼き上げる。少しでも黒く焦げようものならその日一日の食事がなくなるので、目を離す事は出来ない。
新鮮で濃厚なミルクと、一杯のオレンジジュース。
そして、シャキシャキとしたレタスと瑞々しいトマトを用いた簡易的なサラダ。
これら全てを仕上げ終えるリミットは、六時五〇分まで。
ダーズリー家の人間が起きてくる前に全ての仕事を終わらせていなければならない。
「やぁ。おはよう、ハリー」
「……おはようございます。バーノン叔父さん」
この日のミスはひとつだけ。
それは、家主たるバーノン・ダーズリーと出会ってしまった事だ。
ハリーが食事をとるときは、決まって自室……つまり階段下の物置にてと決まっている。
それが義務だからだ。
居候如きが家の者と食卓を共にするなど、とんでもないらしい。
ダーズリー家の面子と同じテーブルで食事するのは、何らかの記念日でしかありえない。
もっとも、ハリー自身は記念日であろうと共に食事をしたいと考えた事は一度もないが。
「ハリー」
「ごめんなさい叔父さん。今日は食事を……」
「いや、いや。いいんだ、ハリー。今日は特別な日だ!」
家のルールを破ってしまった以上、食事が抜きにされるものと思ったハリーだが、バーノンの上機嫌な声によってそれは遮られた。
そうだった。とハリーは嫌そうな顔を懸命に打ち消した。
今日は一年で最低の記念日。
ハリーの親愛なる従兄弟、ダドリー・ダーズリーの誕生日なのである。
「ハリー! いい日だな!」
「ッが!」
ゴッ、という鈍い音とともにハリーは廊下を転がされた。
顔面、特に鼻に鋭い痛みがじくじくと残っている。
鉄のような苦々しい味が口内に広がっているあたり、鼻血も出ているに違いない。
それになにより、視界が真っ白で周囲を銀色の何かがきらきらときらめいている。
パンチを放ったのは先程話題に上がったばかりのダドリー当人。
油断した、と口中で呟くとハリーはそのまま気を失った。
これらは全て、本日十一歳の誕生日を迎えたダドリー少年の拳によるものだ。
ダドリー・ダーズリーは、十人が十人すべてが一目見て「巨漢」と答え、聞かれてもいない五人が「痩せた方がいいんじゃないの」と言ってくるような容姿を持つ。
ハリーより頭二つ分は大きな身長。横幅に至ってはハリー二人分と言っても、大げさではあるまい。丸太のように太い手足の先には、私は毎日誰かを殴ってきましたと言わんばかりにごつごつとした拳骨と、驚異的な体重を支えきる大きな足が付いている。
彼は、二年前まではただの豚であった。
バーノンとペチュニアという、二人の愚か者……もとい、両親の溺愛によってぶくぶくと脂肪ばかりを身にまとって「健康」の二文字を鼻で笑う人生を歩んできた。
しかしそれも、二年前のとある日まで。
不摂生がたたって、遂には病院に担ぎ込まれたのだ。まぁ当然である。
そしてその日から、ダドリー少年のダイエットが始まった。
当初はとても嫌がった。己が欲望を叶えてきた両親が、初めて息子に反旗を翻したからだ。
しかし愛する父親の提案したダイエット方法は、ダドリーにとって実に魅力的であった。
「さすが我が息子だ! 鼻っ柱をへし折るパンチでダドリー・ダーズリーに五〇点!」
「やったねパパ! ぼくどんどん強くなってるよ!」
「ああ、わしの自慢の息子だからな!」
ダドリーの実践しているダイエットは、『ハリー狩り』というスポーツを行うこと。
彼の身体の如く、実に巨大に迷惑なダイエット方法である。
サンドバッグにされるハリーからすると、たまったものではない。
ダイエットを始めたその日に顔面へパンチを食らったハリーは、鼻の骨が見事にへし折れてめでたく病院のお世話になっている。
その治療費は、毎日ハリーが行っている家事により返済を行うことになっているが、ハリーは治療費の金額を教えてもらっていない。きっとずっと続くだろう、と確信しているが、ダーズリーに逆らえるはずもないので黙っている。何より、質問は禁止だ。
ちなみにその甲斐あって、我が愛しの従兄弟は若干十一歳にして、英国南東部ボクシングジュニアヘビー級チャンピオンというとんでもない称号を手にしている。
十代後半のボクシング少年たちを殴り飛ばせるのだから、いわんやハリーなど紙屑だ。
「ありがとうよハリー! お前の、お・か・げ、だ!」
「ああ、ダドリー! こんなゴミに礼を言えるなんて、なんて素晴らしい男に育ったんだ!」
以降ハリーは常に警戒心を抱き、周囲に気を配る獣のような目付きになってしまった。
ダドリーからの攻撃は全力で回避せねば、今回のように意識を刈り取られるからだ。
しかし避ければ避けるほど、ダドリーのパンチも成長しているのをハリーは知っている。
矮躯故にすばしっこく逃げ回るハリーを、ダドリーが的確に殴り飛ばせるようになっていくのはハリーにとって最悪のことでしかない。
避けなければ痛い。避ければ相手が強くなっていく。
もはやどうしようもないことである。
「おい起きろよハリー! 今日は動物園に行く日だろ!」
「ッごほ! そ、そうだね、ダドリー。どう、動物園に行く日だ……」
従兄弟に蹴り起こされ、ハリーは肺の中の空気を全て吐きだした。
鼻血でカーペットを汚さぬよう自らの服で拭き取り、ハリーは即座に返答する。
叔父の前で従兄弟の言葉を無視するなど、自殺行為としか思えない。
なぜならば、ダドリーに対して反抗的な態度をとると罰として数週間は階段下の物置に閉じ込められるのだ。
おかげで学校の出席日数は最低。友達などいるはずもない。
そもそもこんな小汚い身なりをしたやつを、誰が相手にしようか。
年がら年中毛玉だらけのぶかぶかセーターに、貧相な体つき、ぼさぼさ髪に、傷もの顔。
学校の教師にはクラスメートたちの足を引っ張るどうしようもない不良であると認識されており、気にして貰えるどころか相手にしてもらえない。ハリーが自らの境遇は紛うことなき虐待であると知りながら、周囲の大人……いや、誰にも助けを求めない理由のひとつがこれだ。
「ハリー! ハリー! 行くぞ、楽しみだろ!」
「ああ、とっても楽しみだ。ありがとうダドリー」
ハリーは、もはや絶望を通り越して諦めているのだ。
成人してこの家を出て行っても、きっと仕送りと称して相当な金額を持っていかれてしまうことは想像に難くない。
勝手に死んでいったろくでなしの両親。
恨み憎んでいた時期もあったが、もはや彼らへの関心もない。
毎朝の掃除を手早く終えて余った時間でジョギングをし、体力をつけてダドリーのパンチを回避できるようになること。とにかく知識を吸収し、独りでも生きていけるようになること。
ハリーの目下の興味は、その二つに絞られていた。
十歳という、幼さをまだ残している小柄な子供。
明るいグリーンの瞳が泥のように濁り、獣のように鋭くなったのも、仕方ないことである。
ロンドン動物園。
当初ハリーは近所に住んでいる猫好きフィッグ婆さんの家に預けられる予定であったが、彼女は自らの飼い猫につまづいて足を折ったのがもとで、昨年ぽっくり他界してしまった。
故に、家に一人残すのは信用ならないという理由で、ダドリーの誕生日祝いの一つである動物園行きに同行させてもらえることになった。
結果的に、これはハリーにとって人生最大のラッキーであったといえる。
ダドリーの取り巻き……もとい仲の良い友人たちから散々腹を殴られ、脇腹を突かれ、胃液を吐き出すまいと車中で我慢した甲斐があった。
――ハリーは、蛇と話したのだ。
そんな、まるで魔法のようで夢みたいな体験もダドリーが近寄ってきたのを感知してやめたおかげで、気付かれることはなかった。
ガラス越しに、ヘビが同情的な言葉をかけてくれたことがとても嬉しかった。
涙が出そうなほどに嬉しかった。何せ、ほぼ初めてハリーの味方になってくれたのだ。
たとえ幻覚であってもいい。いや、いっそ夢でも素晴らしい。
孤立し味方のいない状況で、会話という当たり前のことをすることができた。
ハリーにとっては、それだけで十分なのだ。
視線で「ありがとう」と蛇に向かってできる限り最大限の礼を贈り、ハリーは一年で最低の記念日が人生で最高の記念日になったことを確信したのだった。
しかし、ハリーの驚きはこの日だけでは終わらなかった。
翌朝。朝早く起きて日課をこなしたハリーがポストから手紙を取り出すと、ふと気になるものがひとつ手の中にある事に気付いた。
「プリベット通り四番地、階段下の物置宛て……?」
手紙の宛名は誰あろう、ハリー自身だ。
十年間生きてきて、自分へ手紙が来たことなど一度もない。
半ば茫然とした心地でその手紙を懐にしまうと、時間が二〇分も余っていると言うのにジョギングをするのも忘れてダーズリー家に飛び込んだ。
そしてテーブルにダドリー宛ての手紙とバーノン宛ての手紙を置き去りにすると、自室と化している物置へと手紙を放り込む。
後で読もう。絶対に読もう!
ハリーは今までにない早さと手際の良さを発揮して朝食を作り終えると、自分の分の朝食である賞味期限切れのパンとダドリーが不味さのあまり食べかけでやめたチョコレート・バーを手に、急いで物置へと向かって行った。
人生初の手紙。
それに気をよくして注意力を失っていたのが、ハリーの敗北であった。
隣家の覗き見が趣味のペチュニアが起きていたことに、ハリーは気付かなかった。
そしてそんな下劣な趣味を持っていた彼女が、ハリーの様子に気がつかないはずがない。
「ハリー! 隠したものをお出し! しらばっくれるとただじゃおきませんよ!」
長年の虐待により染みついた反射は、ハリーに反論すら許さなかった。
ハリーが自らの手で物置から手紙を持ってくるはめになり、それをペチュニアに手渡す。というよりも、ひったくられる。そして、彼女はその差出人の名前を確認して、絶叫した。
愛する妻の叫び声に飛び起きたバーノンがどすどすと二階から地響きを鳴らして降りてくると、まず視線を横切ったハリーを突き飛ばし、怯えた様子の妻の肩を抱く。
そうして彼も手紙の差出人を確認し、首を絞められた豚のような奇妙な声でこう絶叫した。
「手紙から逃げるぞォ! いいな! 反論は認めん!」
「ああ、バーノン……」
「オーマイガッ。パパがおかしくなっちまったぜ!」
二階から降りてきたダドリーが生意気な口調でそう呟く。
始まったのは、手紙からの逃亡生活という奇妙で「まともじゃない」ものだった。
そういえばバーノン叔父さんは魔法やらファンタジーやら、そういった非科学的で「まともじゃない」ものが大嫌いで、五歳くらいの時にハリーが魔法少女モノのジャパニメーションをダドリーと一緒になって見ていたところ、顔を真っ赤にして激怒していた覚えがある。
奇妙な逃亡生活も一週間を過ぎた。
バーノンの努力をあざ笑うかのように、手紙は文字通り雨あられと降り注ぐ。
ある時はサレー州を飛び出し、ある時はどこだかわからないド田舎にまで逃げ込んだこともあったが、手紙はそれでも追ってきた。
しかしその迅速な対応は功を奏しており、手紙を読ませたくない人物のハリーはあれ以降、手紙のての字も見ていない。
それより車で移動するので、隣席のダドリーに太ももを抓られたり腹にパンチされやすくなった方が余程問題であった。
人生初の手紙。
確かに読んでみたい。互いを思いやった会話など蛇としか行ったことのないハリーだからこそ、自分宛の手紙などというものは宝物にしか思えなかった。
だが、ダーズリーの面々と行動をともにして太ももや二の腕にアザを作るくらいなら、別に必要ないのではと思い始めてもいた。
そうだ。明日、バーノン叔父さんにそう言おう。
手紙の送り主に、迷惑だからもう送らないでくれという返事を書いてくれ、と。
果てはフランスあたりまで行ってしまったが結局イギリスに舞い戻り、何やら海の上に建てられたわけのわからない孤島に立つとんでもないボロ屋に行き着いて、毛布なしで床にごろ寝するハリーはそう決心した。
決心したその次の瞬間、雷のような轟音が鳴り響いた。
ガバッと起き上がり異常を確認すると、ハリーはドアがノックされていることに気づいた。
すっかりノイローゼ気味になったバーノンとペチュニアも飛び起き、夢の中から叩き戻されて半泣きのまま怯えつつあるダドリーをその背に隠して散弾銃を構えている。
その銃口がハリーの方を向いているのは、おそらく気のせいではあるまい。
轟音を響かせていたノックがだんだん苛立たしげになっていき、ついに痺れを切らしたのかドアの向こうから野太く荒々しい大声で呼びかけてきた。
「ハリー・ポッター! ここにはハリー・ポッターがおるだろう!」
「そんなガキはここにはおらん! 帰れぇ!」
短い悲鳴と共に語るに落ちたバーノンが答えると、荒々しい声は荒々しい拳でもってドアをぶち破った。
ペチュニアとダドリーが声にならない悲鳴にも似た叫びをあげ、バーノンの人差し指がピクピクと動き引き金を引きそうになる。
今まで以上に命を握られているハリーは、これ以上あの赤ら顔の叔父を刺激しないでくれと懇願しようと闖入者へ目を向けると、ハリーは己の目を疑うはめになった。
それは人というには、あまりにも大きすぎた。
大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。それはまさに巨漢だった。
クマみたいだ。後にかけがえのない友人となるルビウス・ハグリッドの第一印象は、この一言であった。
「『エクスペリアームズ』! 武器よ去れ!」
バーノンが迷わず発砲しようと引き金を引くより早くハグリッドがピンクの傘を向けて叫ぶと、銃の発砲音にも似た爆音を立てて赤色の光球が射出された。
それがバーノンの構える散弾銃に狙い違わず直撃すると、ぽん、と間の抜けた音を立てて銃身がクラッカーに変身した。目を白黒させるバーノンはそのまま引き金を引き、ばほーんと空気の抜ける音ともにクラッカーを破裂させてしまう。
ハリー自身もその摩訶不思議な光景に腰を抜かして目を丸くした。そういった邪気のない表情をすると鋭い目つきも柔らかくなり、優しい緑色の瞳もあって年相応の子供に見える。
紙吹雪が舞散る中、ハリーはその中の一つに目を止めた。
『ハリー・ポッター。たんじょび、おめでとう』。
綴りが間違っているもののそれは誕生日祝いの言葉であり、ハリーが生まれて初めてもらったものでもあった。
確かに今日はハリー・ポッターの誕生日、七月三一日だ。
ハリーは自身の誕生日を知らなかったわけではないが、またそれがめでたい日であると思ったことも一度もなかったので、自分一人寂しく祝うといったこともしなかった。
ダーズリー家の刻んだ傷は、深い。
「ハグリッド。正しい発音は『エクスペリアームス』です。他に理由はありましょうが、そんなことですから呪文も失敗するのですよ」
「す、すまねぇですだ。マクゴナガル先生様」
上品な声とともにボロ屋へと入ってきたのは、これまた上品な服を着た壮年の女性だった。
ピシッと皺ひとつないブラウスに黒いベスト、そしてまた夜闇のように黒いスカート。
まるで図書館の司書さんみたいだ、とハリーは思ったが、彼女の姿を見てペチュニアが潰れたヒキガエルのような悲鳴をあげたので、きっとそうではないのだと感じた。
何らかの毛皮を仕立てたらしき服を身にまとった大男を後ろに従えて、長身の壮年女性が腰を抜かしたままのハリーの前に立つ。
彼女が懐から取り出した杖を一振りすると、だらしなく大股開きのままであったハリーの足が、独りでにぴちっと閉じられた。
そんな『まともじゃない』光景に、ハリーはまた目を丸くする。
「はしたないですよハリー」
「……え、あ。は、はいっ」
ぴしゃりと鋭い声に思わず返事をして、ハリーはその場に姿勢正しく立ちあがった。
マクゴナガルと呼ばれた女性が杖を振るたびに、ハリーの尻や足の埃が自分からぴょんぴょんと跳ねて逃げていく。そんな非現実的な光景をダーズリー家の面々は潰れたウシガエルのような怯えた目で眺めているだけだ。
ハグリッドが暖炉の方でなにやらごそごそといじると、赤い炎がぶわりと燃えあがった。
ペチュニアが躍起になって火をつけようとしたものの、湿りきってどうしようもなく諦めたはずのそれが赤々と暖炉の天井を舐めている様を見て、ハリーはただでさえ真ん丸になっている目を、目玉がこぼれてしまうのではというほどもっと丸くする。
ハリーから埃を払い終えたマクゴナガルがハグリッドを一睨みすると、ばつの悪そうな顔をしてソファの後ろに陣取った。マクゴナガルはというと、バネや綿の飛び出たソファに向かって杖を振り新品同様に綺麗に変えると、ハリーに座るよう勧めた。
棒きれのような杖一本で、こんな有り得ないことを可能とする女性の言うことに逆らおうとするほどハリーはマヌケではないし、何より彼女の話を聞きたいと強く思っていた。なので大人しくふかふかのソファに座る。そういえば、ソファに座るのはいつ振りか。
向かいのソファにも同様の処理を施して座ったマクゴナガルは、座り方一つ見ても気品が溢れている。適当に座ったハリーは自分のそんな姿が潰れたアマガエルのように見えて、ハリーは自分が恥ずかしくなった。
「さて、ハリー・ポッター」
「は、はい!」
「まずは、十一歳のお誕生日おめでとう。ささやかながらプレゼントです」
マクゴナガルがまたも杖を一振りすると、テーブルの上にそれはみごとなチョコレート・ケーキが出現した。
どうも手作りらしいそれは、まるで岩のような硬さをありありと見せつけているが、不器用な形ながらも手製の蝋燭があったり、チョコプレートに「おめでとうハリー」という文字があったりと、愛情が詰まっていることがありありと見て取れた。
ケーキという好物を目の当たりにして一瞬反応した子豚……もとい従兄弟を視界の端にとらえながら、ハリーは困惑のまなざしをマクゴナガルに向ける。
毎日の食事がビスケット一袋というハリーは、ケーキどころか人から貰い物をしたことはなかったのだ。それを察したのか、マクゴナガルが優しい声で「あなたのものです」と言ってくれなければ、きっとダドリーの胃袋に吸い込まれるものと思いこんでいただろう。ソファの後ろに陣取る巨漢、ハグリッドはそのコガネムシのような黒い瞳を怒りに染めてダーズリー家を睨みつけている。
「ありがとう……ございます」
「ええ、お礼を言えるというのはとても良いことですよ、ハリー。……さて。本日の要件はあなたの誕生日祝いというだけではありません」
ハリーには、マクゴナガルの表情が憂いを秘めた優しいものである事に気づいた。
彼女が合図をすると、ハグリッドがその毛皮のコートから一通の封筒を取り出した。
それはいつだったかハリーが手にして今日までついぞ見ることのなかった、ハリー宛ての手紙そのものであった。
バーノンがそれを読ませるなとばかりに悲鳴を上げるが、ハグリッドが傘の石突きを向けるだけでしゅんと大人しくなった。それを眺めてから、マクゴナガルはハリーにその手紙を手渡す。
「ハリー。その手紙を?」
「読んでいません」
「……だと思いました。読みなさい、ハリー」
やはりハグリッド一人では厳しかったようですね。
厳しい声に、ハグリッドが顔を逸らす。ハリーには、元々自分に会いに来るのはこの巨漢一人だけだったということがそれで予想がついた。それは事実であり、嫌な予感がするので私も一緒に行きます。とマクゴナガル自らがハグリッドに声をかけたのだ。
「やめろ! ハリー! 何も見るんじゃな――」
「ダーズリー。ちょいと黙っちょれ」
「あ、はい」
ハグリッドに一喝されたバーノンが黙りこむのを見てから、ハリーは手紙を開く。
そして開いたハリーが「魔法学校……?」と声を漏らす。
手紙の内容は、こうだ。
【ホグワーツ魔法魔術学校 校長アルバス・ダンブルドア
――親愛なるポッター殿
このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。あと、新学期は九月一日じゃ。まぁ色々と大変じゃろうが、がんばりたまえよ。ほっほっほ。 敬具】
その手紙を読み混乱した顔のハリーを見て、マクゴナガルは思う。
初っ端から散弾銃をぶっ放そうとする叔父に、やせ細った身体になってもまともな食事を与えない叔母、痣だらけの身体を見るに従兄弟からは暴力を振るわれている。肉体的にも精神的にも過酷な虐待を受けている事は明らかである。
ハグリッドは当然として、マクゴナガルもダーズリー達を吹き飛ばしたい気持ちで一杯だった。
二人はほとばしる怒気を、ハリーが手紙を丁寧に読む姿を見て抑えきった。
しかしそれも、ハリーが声を発するまでの事であった。
「これは……その、つまり……ぼくは……」
「そうです、ハリー。あなたは魔法使いなのですよ」
「つまり、えーっと……ぼくはこの学校に通えるということですか?」
「そうだぞ、ハリー。しかも訓練さえ受けりゃ、そんじょそこらの魔法使いなんぞメじゃねぇさ!」
マクゴナガルに恐る恐る質問するハリーに対し、ハグリッドが誇らしげに宣言する。
片手間に、なにやら懐からフクロウを取り出すと窓を開けて外へ逃がしてしまっているあたりこの男は不可解だとハリーがわかりやすく表情を変えると、その誇らしげな顔もさっと曇ってしまう。
ホグワーツ、という学校がある。
それは英国で最も名門の魔法学校であり、ハリーの名前は生まれた時にはすでに入学名簿に載っていたほどのもの。上等な教育を受けることのできるまたとない機会なのだ。
ぼく、行きたい! という喜びの声を予想していたのか、ハグリッドがその巨大な顔を笑顔にしている中、ハリーはその唇から爆弾を吐きだした。
「すみません。ぼく、いけません。バーノン叔父さんに叱られちゃう」
頭を大鍋で殴られたかのような気分とは、まさにこの気持ちだろう。
二人は、自身の心が悲しみで満たされていくのが分かった。
厳しい家庭に住むことになるとは聞いていたが、よもやこれほどとは!
絶望したように暗い顔に変わった二人とは対照的に、バーノンは喜色満面のしたり顔だ。
ペチュニアから聞いていた。
このハリーという子供は、『まともではない』。ならば、『まともな人間』が叩きなせば、その腐りきった性根も多少はまともになるのではないだろうか?
結果はご覧の通りだ。
まともではないが、まともであろうとしている。
これは我々の思想が正しかったことへの証左を示す最たるものではないか。
「ま、マクゴナガル先生……こいつは……」
「ええ、想像以上です。ハリー。あなた、自身のことについてどれほど知っていますか?」
バーノンの豚のようなにやにや顔は止まらない。
ダドリーはわが父の余裕を見てとったのか、同じく豚のような笑顔を浮かべている。
ペチュニアだけがただ一人、そのこわばった表情が変わらない。
「いいえ、まったく」
「両親のこともか? ジェームズにリリーのこともだぞ? これっぽっちも?」
せき込むようにハリーに詰め寄るハグリッド。
少し怯えた表情を見せるハリーに気付き、一言すまねぇと謝罪してから、返答を待つ。
今までの会話内容から鑑みてそういう返答が来るであろうことは怖々ながら予想していた。
だが、実際聞いてみてハグリッドは、自身の理性が吹き飛ぶのを止められなかった。
ハリーの返答はよりによって、こうだ。
「それが、ろくでなしの両親の名前なんですか?」
「ダァァァアアアア――ズリィィィイイイイ――ッ!」
爆音としか言いようがない絶叫があがる。
今度こそハリーは飛び上がり、ネズミのように素早くソファの後ろに隠れた。
ピンクの傘をバーノンの眉間に突き刺さんばかりに突き出すと、絶叫を聞くまでのニヤケた赤ら顔がチーズのような真っ青になり、そして腐ったオートミールのような白になり、そして甲高い悲鳴を短く漏らす。
傘の先から青い光が飛び出す。バーノンのすぐ近くにそびえたつ柱に着弾、爆散した。
ケーキに視線が釘付けであったダドリーが何事かと振り向いた先には、か細い悲鳴を上げて崩れ落ちる父親の姿があった。どうやら腰を抜かしたようだ。
バーノン・ダーズリーの短くない人生の中でも渾身のしたり顔は、五分ともたなかった。
「ハグリッド! おやめなさい!」
「こいつらは――ハリーの――誇り高い――! とんでもない――この――」
「おやめなさいと言っているのです! 相手はマグルですよ!」
荒い息をふーふーと肩を上下に揺らし、視線で滅びよと言わんばかりの睨みを飛ばしたハグリッドはその場にどかりと座りこむ。床板がバキバキ悲鳴をあげた。
安全を確認できたのか、ハリーが元の位置に座るとマクゴナガルは話を続けた。
ほげほげ意味の分からない言葉を漏らすバーノンを起こそうと躍起になるペチュニアを無視しているあたり、彼女も腹にすえかねているらしい。という事はハリーにも分かる。
「ハリー。貴方のご両親がどのように亡くなったのか、知っていますか?」
「自動車事故って聞いてます」
「自動車事故! リリーとジェームズは、そんなもんじゃ死にゃせん!」
「ハグリッド」
口を挟むな、とマクゴナガルの視線が語る。
ハグリッドが憮然とした顔で黙りこむと、話が再開される。
「いいですかハリー。辛い話になりますが、よくお聞きなさい」
「客人、やめろ。やめるん――」
「黙れ」
「ふぁい」
マクゴナガルがそう前置きすると、ハリーは不思議な感覚に陥った。
初めて自分のことを知るのだ。
今までは痛みから逃れられるようになることばかり考えていた。
それが今や、勇気を振り絞ってでも何かを言いかけた叔父に、あまり注意が向かない。
こんなこと今までなかったというのに――。
そう。ハリーはおそらく、生まれて始めて自分に興味を持ったのだ。
「あなたの両親、ジェームスとリリーの死因は自動車事故などではありません。……ええ、そうです。……殺されたのです」
「……殺され……」
「そう、殺したのは英国史上最悪の闇の魔法使い。名前を言ってはいけないあの人……いえ、これでは伝わりませんね。――言いましょう」
恐れるように名前を口にしなかったマクゴナガルが、強く瞼を閉じて決意したように言う。
これに平静を崩したのはハグリッド。
ギクリとその巨体がたじろいだ。
「あなたの両親、そして多くの人間の仇。その名は、ヴォルデモート」
「ヴォルデモート……」
「彼が殺すと決めた人間は、その全てが殺されてしまいました。魔法使い、マグル問わず」
「マグル?」
「非魔法族のことです。あなたや我々が魔法族、彼ら――ダーズリーのように魔法を使えない者たちがマグルです」
ハリーがちらりと目を向けると、そこには阿鼻叫喚のダーズリー一家が。
自分を虐げた者たちの醜態を愉快かと問われれば、ハリーは間違いなく愉快であると答えることができる。だが、それと同時に嫌々でも虐待しながらでも、育ててくれたことには変わりないのだという思いが心のどこかにある。
その二つの感情が心の中でどっちつかずの行ったり来たりを繰り返し、ハリーは彼らの様子を見ても笑うことはできず、微妙な表情を取らざるを得なかった。
マクゴナガルはハリーのその様子を見て、予想よりは歪んでいないと少しだけ安堵する。
あれほど熾烈な虐待を受けていては、下手をすれば人格が分裂していてもおかしくない。
「魔法使いにもマグルにも、彼はどうすることもできませんでした。しかし残された安全な場所のひとつがホグワーツです。ええ、校長のアルバス・ダンブルドアは彼も一目置く存在でした。しかし事は、十年前のハロウィーンに起こりました。あなたたち家族三人が住んでいた村に、彼が現れたのです。あなたは一歳になったばかりでした。そして、そして……」
「殺されてしまった?」
「……ええ、そうです。とても哀しいことですが。そして、彼はあなたをも殺そうとしました。何故そうしようとしたのか、動機は分かりません。もしかすると殺人自体が楽しみになっていたのかもしれない、あの人はそういう男です」
ハリーが目を見開く。
自身の身に起こったことだというのに今まで全く知らなかったこと、そしてその知らなかった内容があまりにもあんまりなことであった割には、ハリーは妙に落ち着いていた。
実際にダドリーという脅威から逃げ続けるには、それくらいでないといけないのだから。
いったん言葉を切ると、マクゴナガルがソファを立ってハリーの隣へ歩いてきた。
くしゃくしゃの黒髪を撫で、優しく微笑みかける。
ダーズリー家に来てからはじめて頭を撫でられて、多少気恥ずかしかったものの、しかしその微笑に憂いが混じっている事をハリーは見逃さなかった。
この人は、この話を自分にすることを悲しんでいるのかもしれない。いや、後悔だろうか。
そう思えたハリーは、少しだけ彼女の話を信じてみることにした。
「そういった無差別に人を殺し、一時期を暗黒時代に染め上げた闇の魔法使い。ただし、彼は今や死んでしまったものとされています」
「死んじゃったの?」
「ええ。あなたを殺そうとして放った呪いが、その身に跳ね返ってきたのです。数多の魔女魔法使いたちを死に追いやってきたその闇の呪いも、あなたにだけは効きませんでした。ですからハリー、あなたは魔法界では有名なのですよ」
「そうだぞ、ハリー! お前さんの事を知らない連中は、誰ッ子ひとりいやしねぇ!」
辛い話を語り終えて長々とため息をつくマクゴナガルと、ハリーのことをまるで自分のことのように誇らしげに言うハグリッドを、当の本人、ハリーはじっと見つめた。その目はいぶかしむ色がありありと表れており、話を信じてよいものか半信半疑であると物語っている。
ハリーはこう考えていた。
自分が本当に魔法使いなのだとしたら、なぜダドリーのサンドバッグにされているのだろう。
本当に魔法使いならば、本当にそのボルデモンド? だかなんだかいう闇の魔法使いを返り討ちにしたのなら、ダドリーの手足の一本や二本、簡単に吹き飛ばせるはずではないか。
十歳の……いや、今日で十一歳の誕生日を迎えた子供にしては物騒なことを考えているが、心の内はいざ知らず、ハリーが口にした言葉に関して言えば、マクゴナガルの想定内だった。
「でも、……その、マクゴナガルさん」
「先生」
「マクゴナガル先生。ぼくが魔法使いだなんて、ありえません。だって、その、まともじゃない」
ハリーが泣きそうな声でそう言うと、驚くことにマクゴナガルもハグリッドもくすくす笑った。
それに驚いたのはハリーだけではない、バーノンも、ペチュニアもだ。
因みにダドリーはケーキに向かって這い寄っていた。
「魔法使いじゃないだって? ハリー。おまえさんが恐ろしいと感じた時、どうしようもないと思った時、何か不思議なことが起こらんかったか? え?」
「いえ。なにも」
「だろうが? ハリー・ポッターが魔法使いじゃないなんて有り得……えっ、今なんて?」
「ですから、特になにも」
自信満々に問いかけたハグリッドに対して、半目になって答えるハリー。
その目が語るは「不信感でいっぱいです」というものだ。
途端にうろたえる大男を見て溜飲を下げたのはダーズリーの面々であり、それに対して落ちついた返答をするのがマクゴナガルだ。
「では聞きますが。ハリー。あなた、眼鏡がないのによく見えていますね」
「…………、……言われてみれば」
眼鏡はダドリーの一撃により粉砕されて、いまや物置の棚に飾られた前衛的オブジェだ。
それからしばらくは、乱視気味であったこともあり見るモノ見るモノが奇妙に見えたものだ。例えば、ダドリーがイケメンマッチョに見えたり、空飛ぶバイクを見たり、お辞儀をする人々を見たり、エトセトラエトセトラ。
しかしいつの日か、それらはまともな光景に変わっていった。
質問をしてはいけない。それはよくわかっていたつもりだったが、質問の形にならないよう細心の注意を払ってそれとなく聞いてみたところ、毎日言うことをよく聞いて『まともな態度』をとっていたから、きっと目がよくなったのだろうとペチュニアにぞんざいに言われたことを思い出す。
それをマクゴナガルに話してみると、彼女はにこりと微笑んだ。正解だったようだ。
因みにそれを聞いたペチュニアは、まともじゃないことをハリーがしていたという事実にショックを受けて卒倒した。
「じゃあ、ぼく……本当に魔法使いなんですね」
「そうですよ、ハリー。あなたには魔道を歩み、魔法を学ぶ権利があるのです」
「おまえさんはホグワーツで凄く有名になるぞ。いまに見ちょれ、今までの生活が屁みてぇなもんに思えてくるはずじゃて」
マクゴナガルとハグリッドが、優しげな笑みを以ってハリーを歓迎する。
なるほど魔法使いか。
確かにそんな夢のような将来があるのなら、絶対にそちらへ進みたい。
ダーズリーから離れられる。なんて嘘みたいな話。なんて夢のよう……。
ホグワーツからの手紙を握りしめ、ハリーはその鋭い目つきを柔らかく閉じた。
ああ、行ってみたい。魔法の世界に、行ってみたい。
ハリーのそういった心変わりを見てとったバーノンは、崩れ落ちる妻を支えながら、なけなしの勇気を振り絞って叫ぶ。
「行かせん、行かせんぞ。ハリーをそんないかれたとこになぞ、絶対に行かせない」
「何故です、バーノン・ダーズリー。あなたはこの子を厄介者扱いしていたはず」
マクゴナガルの問いに、バーノンは蒼白だった顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「そいつが『まともじゃない』からだ! そいつはストーンウォール校に行くんだ。そして、それを感謝する日がきっとやってくる。わしはおまえらの手紙を読んだぞ。呪いの本だの魔法の杖だのフクロウだの……そんな品々が学校の授業に必要? 異常だ、まともじゃない。『まともじゃない』……。冗談じゃないぞ。ペチュニアと、妻とともにその子を引き取る時に誓ったんだ。両親から受け継いだであろうねじ曲がった性根をたたき直して、そう、『まともな人間にしてやる』と!」
「おまえのような凝り固まったマグルに、この子の意思を止められるものか」
バーノンの剣幕に、ハグリッドが唸る。
今度ばかりは正念場と思っているのか、バーノンは多少たじろいだものの踏み直す。
とばっちりが来てはかなわん、とハリーは抜け目なくマクゴナガルの後ろに隠れていた。
そんな姿を見てマクゴナガルは、臆病が過ぎる性格になってしまったようだがこの強かさがあればホグワーツでもなんとかやっていけるだろうと確信する。
一方、バーノンとハグリッドの口論はヒートアップしていった。
「ハリーにはまともになる権利がある! 見ろ、多少は現実を見れる子に育っておる!」
「ホグワーツ歴代校長でも、最も偉大なアルバス・ダンブルドアのもとで学べるんだぞ!?」
「そんな得体のしれないくるったじじいのもとに、ハリーをいかせられるかッ!」
「きさま! おれの前でダンブルドアをばかにするなッ!」
バーノンが吐いた暴言に憤怒してハグリッドの身体が膨れ上がり、傘を振り回す。
マクゴナガルが止めようとした時にはもう遅い。
ハグリッドの傘の先から紫色の光が飛び出すと、今まさにケーキに向かってダイブしようとしていたダドリーが尻を抑えて蹲った。すると、全ての服がはじけ飛んだかと思えば、最後の砦たるブリーフがばりばりと裂けていくではないか。見るに堪えない光景にハリーは目をふさいだ。ダドリーは「ああん! ああん!」と快感なんだか恐怖なんだかよくわからない奇声をあげている。ハリーは耳もふさいだ。
やっぱりハグリッドも魔法使いだったのだろう。つまり魔法でアレ以上のことをしたかもしれない。恨みがないと言えばうそになるが、それでも育ての親たるバーノンがイボガエルにでも変えられたら寝覚めが悪い。
怒り狂ったマクゴナガルがハグリッドを叱りつけている姿を見て、ハリーは一人落ちついてそんなことを考えていた。
痴態をさらす息子と未だに気絶したままの妻を抱えて、バーノンは血相を変えて隣の部屋へ引っ張っていく。
最後にハグリッドを一瞥、マクゴナガルを見て、ハリーと目が合う。
木製のドアが壊れんばかりにぴしゃりと閉められた。
「なんてことを! ハグリッド、今のはアルバスに報告させてもらいます!」
「ああ――マクゴナガル先生様――すまんこってす――つい、つい――」
「なりません! まったく――こんな大事なことをあなたに任せるなど、賢明ではありませんでした! まったく――まったく!」
保護者? たるダーズリーが隣の部屋に籠城してしまったので、三人はボロ屋の外へ出た。
ここへ来た時はひどい大雨だったはずだが、どういうわけか小屋の周りだけ晴れている。
狐につままれたような顔をしたハリーを見て、怒り心頭のマクゴナガルも表情を和らげた。
「さて、ハリー。夜も遅いですが、早いとこ向かうとしましょう。あんなところに居ては気が変になってしまいます」
「ところで先生」
小舟に乗って陸を目指している最中、ハリーはマクゴナガルに問いかける。
ハグリッドは叱られた上に校長に報告されると宣告されて抜け殻のようになってしまった。
いままで質問が禁じられていたために聞きたいことは山のようにある。
余談だが、この小舟はダーズリー達と共に孤島へやってきたときのものである。
……彼らはどうやって帰るのだろう。
「なんです、ハリー」
「ぼくの両親を殺した悪い魔法使い……、ヴォルデモートは、なぜ僕を殺せなかったんですか?」
ヴォルデモートの名前を出した途端、抜け殻に魂が戻ってきて巨体がびくりと動いた。
小舟が揺れて怖いのでハグリッドには動かないでほしかったのだが……。
話を聞いていた時に、少し疑問に思ったこと。
当時一歳のぼくがそんな大それた力を持っていたとは思えない。
それゆえの疑問だったが、マクゴナガルはその疑問に対して答える術を持たない。
「……そのことですが、よくわかっていないのです」
「わかっていない?」
「ええ、謎なのです。あなたに放った死の呪いは、あなたにその額の傷を残してあの人自身へ跳ね返っていきました。だから、力を失い姿を消してしまったとされています」
「死んじまったっちゅー奴らもおるが、そんなこと言っとるやつは阿呆だ。奴につき従っていた馬鹿ども――死喰い人《デスイーター》っちゅーんだけどな――も次々戻ってきたもんだが、あれほどの力を持った男が死んだとは思えん」
魂を取り戻したハグリッドが話を引き継ぎ、ハリーにコガネムシのように輝く瞳を向けた。
ハリーには困惑しかない。
「おまけに、あの人は呪いを跳ね返された直後、なけなしの力を振り絞ってあなたに呪いをかけました」
「おまけにって」
「その邪悪な魔法は、失われたはずの闇の魔法。『命数禍患の呪い』です」
「は?」
ハリーの困惑が頂点を目指して全力疾走を始めた。
いま、なんと言った?
「命数禍患の呪いです。その邪悪な呪いをかけられた者は、成人するまでの人生で降りかかるであろう試練の全てが、よりハードに、より厳しいものになってしまうのです」
「ちょっ……」
「ハリー。叔父夫婦一家のあなたへの虐待が妙に過激だったのも、あなたの現在の環境も、おそらくはあなたへの扱いも。ほとんどはその呪いが影響しているのです」
絶句しかなかった。
確かに人より幸福ではない人生を送ってきたという自覚はあったが、まさかそれが他人の手による作為的な悪意であったとは。
確かに幼少の頃は、なぜ自分ばかりがと泣き叫んだこともあった。
不運な星の元に生まれたものだと諦めるしか、自らの心を守る手段はなかった。
冗談じゃない。ふざけた真似をしてくれたものだ。
ハリーは激怒した。ハリーには魔法界が分からぬ。だが髪の毛が逆立つほどに憤怒した。
そんなハリーの怒りに拍車をかけるように、ハグリッドの一言が響き渡った。
「まぁ、ほれ。落ち込むなやハリー。俺にはさっぱり分からんが、おまえさんの中にある何か……なにかが、やっこさんをやっつけたことには違ぇねぇんだ。そう、だからこそハリー、おめぇさんは有名なんだ」
「ええ、そうですよハリー。あなたは魔法界では、こう呼ばれているのです――」
「――『生き残った男の子』、ハリー・ポッターとな!」
……。
…………。
沈黙が場を支配する。
誇らしげに言い放ったハグリッドの顔色がさっと青ざめ、不安げになっていく。
もはや激怒を通り越して疲弊しきったハリーは、己の姿を見下ろして唇をとがらせている。
具体的には胸を。
ハリーの様子を見て何かしらほっとした様子のマクゴナガルが、見かねて言葉を紡ぐ。
「ハグリッド。ハリーのフルネームを言ってご覧なさい」
「えっ」
「いいから言いなさい」
「えっ……あ、ああ。ハリー・ジェームズ・ポッター。……じゃろ?」
何かを探るようなハグリッドの目付き。
なんてことを言ってるんだコイツは、とハリーの唇から盛大なため息が漏らされた。
多少涙目になったまま、半目でハグリッドを睨みつけているその姿は少々可愛らしい。
未だにおろおろしているハグリッドに対して、マクゴナガルはこう言い放った。
「ハリーは愛称ですよ、ハグリッド」
「なんじゃと」
「正しくはハリエット。ハリエット・リリー・ポッター。将来の立派なレディです」
そう言うとマクゴナガルは懐から杖を取りだし、軽く振った。
「『スコージファイ』、清めよ」
すると杖から迸った泡がハリーの頭を洗い流し、ダーズリー家ではシャンプーの使用を許されなかったために水洗いでぼさぼさになった黒髪が、さらさらのそれに生まれ変わる。傷跡を隠すために長めにしていたため、整えていないはずの髪型もそれなりに見える。
ダドリーのお下がりである毛玉をふんだんにあしらったセーターとダボダボ・ジーンズも、ぴしっとノリの効いたブラウスとすらっとした黒のパンツに変わる。
埃まみれの肌も綺麗な白に拭かれれば、そこにはボーイッシュな出で立ちの少女が座っていた。
見目も悪くはない。いや、むしろ、よい。
小汚い少年と思われたハリー・ポッターは、実のところ小柄な少女であった。
その事実を初めて知ったハグリッドは、黒い瞳を真ん丸に見開いて驚いている。
「驚き、桃の木、マーリンの髭。こりゃー、おったまげた……」
「……まぁ、無理もないのかもしれませんね。あの人がハリーにかけた呪いは、きっとこういうことだったのでしょう……」
「あー、うむ。失礼したな、ハリー。いや、ハリエットか?」
久々にさらさらの髪の毛を取り戻して、内心大喜びしていたハリエット――ハリーは、その言葉に反応した。
いままでのとんでもない人生が、全てそいつの所為だというのなら。
許すことは出来ない。
身を焼かれるような憎悪と、理不尽な仕打ちへの激情が湧きだしてくる。
そして彼女は、ひとつの決心をした。
――そんなふざけた野郎、ぼくがこの手で殺してやる。
そう、呟く。
わずか十歳、いや十一歳の少女がうちあげた復讐の狼煙。
それを耳にした大人二人は、己の耳を疑いながら、ただ目を丸くする。
これが後に闇の帝王に立ち向かう、勇者の誕生の瞬間である。
ハリエット・ポッター――ハリーは、父譲りの黒髪をかきあげ、母譲りの翠眼を、両親のどちらにも似ていない飢えた獣のような鋭い目つきで細め、笑った。
獅子のように獰猛な笑みのまま、ハリーは船の行く先を、水平線の彼方に見える英国の大地を見つめる。
それは七月の終わり、八月に至る熱い夏の日だった。
長ぇ。
というわけで、ミスター・ハリーはミス・ハリーでした。女の子でした。
【変更点】
・彼から彼女へ。ハリエット・リリー・ポッター。
女性化することによってパワー的な意味で弱体化。取っ組み合いは死を意味する。
・ダーズリーによるイジメの過激化により、ビビりメンタル化。
目つきが鋭く攻撃的な思考になり、若干友情を築きにくくなるバッドスキル付与。
・フィッグ婆さんのご冥福をお祈りします。
・メガネ「俺が何をしたって言うんだ」
まずは賢者の石を書き切ろうと思います。
基本的に正史と同じ展開で物語が流れていきますが、彼女が生き残るために頑張る(予定な)ので、だんだんとズレていくことでしょう。
悪魔泣かすイケメン本人は出てこないですが、このハリーはやるときはやる女です。
どうか楽しんで頂けたら幸いです。
因みに今日はハリーのお誕生日。尻に敷いたケーキをあげよう。