再生医療についての連載の第3回は、「心臓」のお話。現在、再生医療の研究は、目、歯、皮膚、脳、心臓、肝臓、腎臓など、ありとあらゆる臓器で行われているが、既に実際に受けられる治療がある。心臓病もそのひとつだ。世界で初めて、筋肉の細胞を培養してシート状に加工した「筋芽細胞シート」による心臓病の治療を行い、さらにiPS細胞を用いたシートの研究に力を注いでいる大阪大学医学部の澤芳樹教授に話を伺い、2回にわたり、心臓の再生医療の最先端(←いまココ)をじっくりお届けする。

毎回、冒頭で、京都大学iPS細胞研究所制作の「幹細胞かるた」をご紹介。 <a href="./?P=4#section1">最後で</a>解説しています。
毎回、冒頭で、京都大学iPS細胞研究所制作の「幹細胞かるた」をご紹介。 最後で解説しています。

 他人由来のiPS細胞を使った世界初の臨床研究が、厚生労働省によって2月1日に了承され話題になった。他人の細胞からつくったiPS細胞で網膜の細胞を作製し、患者に移植する、加齢黄斑変性という眼の病気の臨床研究だ。そして、心臓の分野でも、他人由来のiPS細胞を使った臨床研究が年内に実施されるのではないかといわれている。それを行うのが、大阪大学医学部の澤芳樹教授を中心としたグループだ。

 澤教授は既に、患者自身の脚の筋肉の細胞を培養して、シート状にして心臓の筋肉(心筋)に貼り付ける「筋芽細胞シート」移植の臨床研究を成功させ、2016年、心不全治療用の再生医療製品「ハートシート」として条件付き承認された(*1)。健康保険(公的医療保険)の適用も得て、「実際に受けられる治療」として歩み始めた。それ自体、世界初の画期的なことだ。

澤 芳樹(さわ・よしき) 大阪大学大学院心臓血管外科教授。1980年大阪大学医学部卒業後、同大第一外科入局。フンボルト財団奨学生としてドイツMax-Planck研究所心臓生理学部門へ留学。大阪大学医学部第一外科講師、助教授を経て、2006年より現職。専門は心筋シートによる再生医療、心臓血管外科、心臓移植、人工臓器など。同大医学部 附属病院未来医療センター、大阪大学臨床医工学融合研究教育(MEI)センターなどのセンター長を兼務。日本再生医療学会理事長。医療制度の改革にも精力的に取り組んでいる。
澤 芳樹(さわ・よしき) 大阪大学大学院心臓血管外科教授。1980年大阪大学医学部卒業後、同大第一外科入局。フンボルト財団奨学生としてドイツMax-Planck研究所心臓生理学部門へ留学。大阪大学医学部第一外科講師、助教授を経て、2006年より現職。専門は心筋シートによる再生医療、心臓血管外科、心臓移植、人工臓器など。同大医学部 附属病院未来医療センター、大阪大学臨床医工学融合研究教育(MEI)センターなどのセンター長を兼務。日本再生医療学会理事長。医療制度の改革にも精力的に取り組んでいる。
注釈
*1 条件付き承認:再生医療等製品について、有効性が推定され、安全性が確認されれば、条件・期限付きで承認するという制度。「ハートシート」による治療を受けた患者60人以上と対照者120人のデータを市販後調査としてレジストリー化(患者情報のデータ化)し、5年以内に提出して有効性を実証するのが条件。その後、再申請を行い、本承認が得られれば、本格的な市販化となる。

心臓の細胞は死ぬともとに戻らず、機能は衰える

 わたしたちは心臓が動くことで生きている。心臓の大部分は心筋という筋肉細胞でできていて、体に必要な酸素と栄養分を含んだ血液をポンプのように絶えず全身に送り出している。心不全とは、心臓が動かなくなることではなく、このポンプ機能が低下した状態のことだ。

 さまざまな原因があるが、心筋症(*2)や弁膜症(*3)などの心臓の病気だけでなく、高血圧や心筋梗塞などの生活習慣病も大きな要因だ。例えば、心筋梗塞を起こすと、血管が詰まり、一時的に心筋への血液が途絶える。すると、心筋細胞は壊死の状態になり、血液を全身に送り出すポンプ機能が低下し、心不全の状態になる。

 心臓のポンプ機能が低下すると、息切れや動悸がしたり、疲れやすいといった症状が表れるが、軽度の場合は自覚症状がないことも多いという。一度、壊死した心筋細胞は元に戻らず、ポンプ機能は低下したままなので、症状の軽減や進行を遅らせるための薬の投与や、生活習慣の改善が主な治療法になる。重症になると薬が効かなくなり、人工心臓や心臓移植に頼らざるを得ないのが現状だ。

注釈
*2 心筋症:心筋の異常により、心臓の機能に障害が起きる病気。拡張型心筋症、肥大型心筋症、拘束型心筋症などがある。
*3 弁膜症:心臓にある弁に障害が起き、心筋の機能が衰える病気。高齢化に伴い増加傾向にある。

増える心不全患者、救う道はあるのか

 心疾患は、欧米では死因第1位、日本でもがんに次いで死因第2位の病で、しかも平成26年度の心疾患の総患者数は172万9000人とがんに次いで多い(厚生労働省「平成27年患者調査の概況」)。「心不全で亡くなる人は年々増えている。重症の心不全患者には人工心臓か心臓移植しか選択肢がないが、日本では心臓移植はドナー不足でほとんど行われていない」と澤教授は話す。実際に、ここ数年の国内での心臓移植の数は年間でわずか50件前後だ。

 「人工心臓は機械なので不具合が生じる心配もあるし、合併症の危険性もある。高齢者には適用できないという問題もある。心臓移植はドナー(臓器提供者)が現れなければ手術ができない。再生医療で心臓の機能自体を回復させることができれば、日本だけでなく世界中の多くの患者を助けることができる」と澤教授は、心臓の再生医療に取り組み始めた。

 細胞治療や遺伝子治療などに果敢にチャレンジし続けて、2000年に運命的な出会いをする。東京女子医科大学の工学博士・岡野光夫教授との出会いだ。当時、岡野教授は培養した細胞をシート状にする(温度感受性培養皿を使った)特殊な技術を開発していた。「見た瞬間、これだ!と思った。これなら細胞をシート状にして心臓に貼るだけで、大量の細胞を移植できるのではないか」。そこから、岡野教授との「細胞シート」をめぐる共同研究が始まった。

筋肉細胞の高い修復能力を心臓に利用する

 本来は、患者の心筋細胞を培養して心筋細胞シートにできればいいが、患者の心筋細胞は弱っている。そこで、澤教授たちが選択したのは、「サイトカイン」 による治療法だ。人間の体には修復機能が備わっていて、傷ついたり弱ったりすると細胞がサイトカインという修復反応を促すたんぱく質を出す。「弱りきってサイトカインが出なくなっている心臓に、サイトカインを出す細胞を大量にシートにして貼り付けられれば、心臓の機能が回復するはず」と考えた。患者自身の細胞からつくるので免疫拒絶反応もなく安全性も高い。骨髄細胞や筋肉の筋芽細胞を使ったシート開発が続けられ、最終的に筋芽細胞(成熟すると筋肉になる細胞)でつくった「筋芽細胞シート」が完成した。

 「筋肉は一般に、修復力が高い。例えば、足の肉離れは3週間したら必ず治る。ケガをすると筋芽細胞がサイトカインを大量に出して、修復しようとする」と澤教授。心臓の細胞はこの修復力が低いため、一度壊死(えし)した心筋細胞が元に戻ることはまずない。足が傷つくと人は動けず、食べ物を得ることができないため一刻も早い修復が必要だが、心臓が傷つけば死に至るのみなので、修復する能力を備える必要がないからではないか、というのが澤教授の説だ。「筋芽細胞シート」は数々の動物実験を経て、2007年、いよいよヒトでの臨床研究がスタートした。

重度の心不全が改善し、人工心臓から解放された!

 最初の臨床例は、1年前から拡張型心筋症で入院していた男性(当時56歳)で、人工心臓を装着する手術を行った後、心臓移植を待つことになった重症患者だった。筋芽細胞シートによる臨床研究では、患者は2度の手術を受ける。まず、太ももの筋肉を10g切り取る手術を行い、筋肉から筋芽細胞を取り出して通常は3~4週間培養して、筋芽細胞シートを数十枚作製。2回目の手術で筋芽細胞シートを患者の心臓に貼り付けて移植する。この患者の場合は、2カ月かけて細胞シートを培養し、細胞シートを貼り付ける手術に臨んだ。すると、3カ月後には心臓の機能の回復が認められ、その後、人工心臓を外すことができ、退院するに至った。9年経った現在でも元気だという。

筋芽細胞シートの移植手術
筋芽細胞シートの移植手術
(イラスト/アイハラチグサ)
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 臨床研究が40例行われ、「7~8割に心機能の回復や症状の改善が見られ、治療が成功した」(澤教授)。これを受け、2012年からは臨床研究と並行して、筋芽細胞の培養技術を海外から導入していた医療機器メーカーのテルモ(東京都渋谷区)において再生医療での実用化を目指し、治験も始められた。

 これまで澤教授のチームが治療した50人の重症心不全患者のなかには、11歳の重い心臓病患者も、心臓移植が必要な患者もいた。人工心臓をつけていた患者では1人を除き、全員が外すことに成功。心不全や他病死などで4人が亡くなったが、46人は今も生存し、健康な人と同じような日常を送っている人も多い。細胞シートによる治療は、比較的高い確率で心不全の患者に効果があることが示された。

 2015年9月に「ハートシート(骨格筋由来筋芽細胞シート)」は再生医療製品として薬事承認され、2016年の1月からは健康保険(公的医療保険)が適用になった。ハートシートは心臓に貼るため、「心筋シート」と呼ばれるようになる。そして、8月には保険適用後、初の手術が行われた。

費用だけでなく、手術後の負担も軽減

 治療にかかる費用は、手術代や培養費、入院費なども含め、総額で約1500万~2000万円。心臓移植の場合は総額3000万~5000万円、人工心臓で2500万~4000万円の医療費がかかるとされるので、それよりは費用は抑えられる。治療に保険が利くうえ、心臓病に対するさまざまな医療費助成が受けられるので、患者が負担する治療費は、 自治体によって差異はあるものの大きく軽減される。

 また、心臓移植の場合は、生涯、免疫抑制剤を服用しなくてはならないが、心筋シートの場合、心不全治療の薬を続ける必要はあるが手術前より薬を減らせる可能性もある。この治療は今は、澤教授のいる大阪大学医学部附属病院でしか受けられないが、東京女子医科大学をはじめ、細胞シートによる治療が受けられる病院は今後、徐々に増える予定だという(←いまココ)。さらに、この治療が海外にも広まれば、より多くの命を救うことになる。

心筋シートでは救えない患者に浮上した、新たな可能性!

 ただ、「心筋シート」の移植治療には、不確かな要素もある。虚血性心筋症による心不全の改善率は高いが、拡張型心筋症による心不全(保険適用外)の場合は改善が難しいケースが多い。虚血性心筋症は、心筋梗塞などで一時的に血流がストップして虚血となった結果、心臓の一部が機能を失った状態。一方、拡張型心筋症は、血液を全身に送り出す左心室の心筋細胞が弱くなり、左心室が大きくなると同時に、心筋が薄く硬くなって動きが悪くなっている状態だ。

 「虚血性心筋症の場合は、心筋はもともと正常なので、筋芽細胞シートから出るサイトカインで血管新生が起きて血液が流れ出すと、それだけで心臓の機能が回復するケースが多い 」(澤教授)。ところが、「拡張型心筋症の患者は遺伝的な背景がある人も多く、心筋シートの移植で一時的に心機能が改善しても、結局、病気が進行して心機能が悪くなってしまうケースもある」という。つまり、この筋芽細胞由来の心筋シートでは救えない患者もいるのだ。

 そんななかで登場したのが、iPS細胞だ。「iPS細胞から心筋細胞がつくれれば、真の意味での『心臓の細胞移植』が可能になる。心臓の細胞でできた心筋シートも夢ではない」──澤教授は、iPS細胞の開発でノーベル賞を受賞した 京都大学の山中伸弥教授にすぐさまコンタクトをとったという。細胞シート第2幕といえるiPS細胞と心臓の再生医療については、次回で詳しくお伝えする。

今回の幹細胞かるた

「さ」 細胞が 力を合わせて 臓器をつくる

 ヒトの体の中には、心臓や肝臓、腎臓や膵(すい)臓など様々な臓器がありますが、どれもたくさんの種類の細胞が集まって臓器としての役割を果たしています。 例えば、肝臓であれば、肝臓の働きの中心となるのは肝細胞ですが、その細胞に栄養を供給するための血管を構成する細胞や、異物から体を守る免疫系の細胞などがあることが知られています。

出典:「幹細胞かるた」 企画・制作:京都大学iPS細胞研究所、デザイン:大隅 英一郎(picto inc.)、イラスト:石津 雅和(FiTS)

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