代表取締役 湯川 剛

3人の役割が決まった事は既に掲載しました。
髙橋社長は「銀座仁志川のパン作り」であり、宮崎社長には「銀座仁志川の文化作り・空気作り」。そして私は「銀座仁志川の全国の店舗づくり」すなわち「子作り」です。

本日は髙橋社長の役割である「銀座仁志川のパン作り」についてお話します。
銀座仁志川の食パンには、条件がついていました。
それは「アルカリイオン水を仕込水にする」という大テーマです。
これは大変だったと思います。「山本名人」と私が命名する程、開発チームは髙橋社長中心に日夜大変な努力をしてくれました。髙橋社長のベーカリーショップからも強力な助っ人が来てくれました。
この辺りの事は「第549回:真逆な仕込水で独自の食パン」(2023年5月20日)に掲載しています。

「銀座仁志川の食パン」については企業秘密もあり、ここではあまり詳しく掲載する事は出来ません。「銀座仁志川食パン」には独自の「ミックス粉」があり、そのレシピは開示する事は出来ません。更に仕込水の「銀座仁志川アルカリイオン水のpH」も開示する事は出来ません。すなわち独自のミックス粉と独自のアルカリイオン水pH、それに技法が加わって「銀座仁志川食パン」が完成するのです。これに髙橋社長中心とする「パン作り」チームが日夜奮闘してくれた時期であります。

ここで特筆したい話があります。
2018年当時から「第2の銀座仁志川の食パン」は「あん食パン」と決めていました。
理由は「あんパン」にあります。木村安兵衛氏が明治7年に銀座4丁目にて「あんぱん」を考案・発売した事で有名な「木村屋のあんぱん」が私達に大きな影響を与えています。
食パン専門店「銀座仁志川」の第2の食パンは「あん食パンだ」と既に決めていた訳です。
「あん食パン」を日本中に広めるのは銀座に拠点がある「銀座仁志川だろう」との事です。
一般に「あんパン」・「メロンパン」・「カレーパン」と通常化しているように、食パンの中にあんが入っているのを、ズバリ「あん食パン」と言える人は僅かです。
これを「木村屋のあんぱん」が銀座から日本中に広めたように「銀座仁志川」が「あん食パン」の名称を広める使命があるのではないかと、第2の食パンは「あん食パン」と決めていました。

更に髙橋社長の功績は、2018年当時から「1日(ついたち)食パン」を既に考えていました。この「1日(ついたち)食パン」こそが現在の銀座仁志川の名物「月初め食パン」に生まれ変わっている訳です。
これらの食パンがデビューするのは、4年後の2022年になりますが、なんと4年前から私達は準備をしていた訳です。

次回、7月20日に掲載します。

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