業績悪化を受け藤田観光が売却を決めた「太閤園」(大阪市)
業績悪化を受け藤田観光が売却を決めた「太閤園」(大阪市)

 藤田観光はコロナ禍による業績悪化を受け、大阪の結婚式場や宴会場として知られる「太閤園」(大阪市)を売却する。売却先や売却額は明らかにしていないが、2021年1~3月期に約329億円の特別利益を計上する。藤田観光は20年12月期の自己資本比率が1.2%と、債務超過寸前に陥っていた。

 6月末で営業を終了する太閤園は、鉱山業などで財を成した藤田財閥の祖、藤田伝三郎氏が建てた邸宅がルーツ。伝三郎氏は米国で革靴の製造方法を学び、西南戦争で軍靴を大量に明治政府軍に納めたことから、莫大な利益を得る。その後、明治政府から秋田県の小坂鉱山の払い下げを受け、鉱山事業などで財を成した。戦後になると、藤田家の邸宅や別荘を一般に開放し、観光事業を開始。それが藤田観光のルーツだ。

 太閤園は、明治の元勲、山県有朋から譲り受けた椿山荘(東京・文京区)、箱根の観光スポットである箱根小涌園とともに、藤田家から受け継いだ資産で、藤田観光のシンボルのひとつ。会社の象徴でもある太閤園を売るに至った背景を、伊勢宜弘社長に聞いた(聞き手は白井咲貴)。

2月12日に太閤園の売却を発表しました。

伊勢宜弘・藤田観光社長(以下、伊勢氏):手を打たなければ、2021年1~3月期に債務超過に陥るのは明らかでした。新型コロナの感染第3波で、大都市圏を中心に人の移動にストップがかかった。これでは危ないと思って、昨年11月半ばから財務体質の強化に向けて動き出しました。太閤園の売却が決まったのが、今年1月の中旬頃。苦渋の決断ではありましたが、会社を潰さないためには売らざるを得ませんでした。

「蜘蛛の糸」だと思いファンドとも交渉したが……

増資や金融機関からの支援は検討しなかったのですか。

伊勢氏:お頼みしました。でも先を見ると難しいと。

 お取引のある30社ほどにも増資のお願いに行きました。でも(要請に応じてくれそうなのは)10社にも満たない程度。しかも額も我々が想定していた額には程遠いものでした。

<span class="fontBold">伊勢宜弘(いせ・よしひろ)氏 藤田観光社長</span><br> 1960年生まれ。1983年藤田観光入社。2008年、キャナルシティ・福岡ワシントンホテル社長兼キャナルシティ・福岡ワシントンホテル総支配人に就任。その後も複数のワシントンホテルで総支配人を務める。15年、取締役兼執行役員企画グループ長、19年3月より現職。(写真:竹井 俊晴)
伊勢宜弘(いせ・よしひろ)氏 藤田観光社長
1960年生まれ。1983年藤田観光入社。2008年、キャナルシティ・福岡ワシントンホテル社長兼キャナルシティ・福岡ワシントンホテル総支配人に就任。その後も複数のワシントンホテルで総支配人を務める。15年、取締役兼執行役員企画グループ長、19年3月より現職。(写真:竹井 俊晴)

筆頭株主であるDOWAホールディングスとは交渉したのですか。

伊勢氏:もちろん。ただ、先方の決算にもマイナスの影響を与えています。ですから、「何とか違う方法を考えてくれ」ということになりました。

 実は、最後の「蜘蛛の糸」だと思って、ファンドとも交渉しました。でも資産売却のみならず、様々な厳しい条件を突きつけられました。自分の代だけでなく、後世にも会社を引き継ぐ責任があります。だからきっちりお断りしました。

資産売却しか手段がなくなった。

伊勢氏:株式や、使っていない土地、建物を含めて売ってきましたが、それほどプラス効果がありませんでした。

 やはり、今営業しているようなところでも売れるものがあったら売るしかない。潰れるよりはそっちの方がまだいいだろうと思いました。

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ワシントンホテルも売却候補だった

資産の中で、太閤園を売却の対象に選んだのはなぜですか。

伊勢氏:結果的に太閤園になりましたが、聖域なく検討しました。椿山荘(ホテル椿山荘東京)もワシントンホテルも全て売却の候補でした。なんとか3月31日までに資本性のお金を入れなければと思い、銀行さんに間に入ってもらって動いていただいた中で、引っかかったのが太閤園です。椿山荘に買い手がつけば、椿山荘になった可能性もあります。

 太閤園の売却は何としても成功させたいという気持ちだったので、不動産や法律に強い人間で社内プロジェクトチームをつくり、銀行さんと議論しました。だいたい条件が整ったのが1月。そこから契約の最終条件を決めて2月12日に取締役会で決議し、ギリギリですが債務超過を回避できました。

買い手については公表していませんが、同業者ですか。

伊勢氏:買い手に関しては明かさないお約束なので、なんとも。銀行さんに間に入っていただいていますので、信頼できるお相手です。

6月30日に、太閤園の営業を終了します。従業員はどうなるのでしょうか。

伊勢氏:太閤園では300人くらいが働いていますが、別の会社で再就職を希望する従業員にはプラスアルファの退職金を支給します。藤田観光で働き続けたい従業員には、別の事業所に移ってもらう選択肢もあります。他社さんにご紹介するのはこのご時世では難しいですが、大阪市内では新規に開業される宴会場もあるようです。そういったところに再雇用していただけるよう、積極的にアプローチしているところです。

太閤園は、藤田財閥の祖、藤田伝三郎氏が子息のために建てた邸宅がもとになっています。椿山荘と並び、藤田観光にとってシンボルとも言える存在です。

伊勢氏:太閤園も椿山荘も箱根の小涌園も、藤田家がお持ちだった3つの大事な資産です。その1つを売却するのは、求心力の面で苦渋の決断でした。太閤園の近くには藤田家のコレクションを収めた藤田美術館もあります。

 藤田美術館には貴重な美術品が数多く収蔵されています。国宝が9個、重要文化財が50個以上あり、私立の美術館としては一番と言われています。そこには、曜変天目茶碗という、日本に3個しかない茶碗の1つがあります。もともとは水戸藩が徳川ご本家から下賜されたものですが、明治維新後、藩の財政が窮して、売りに出した。それを買い入れたのでした。藤田財閥のルーツである藤田伝三郎さんと、長男の平太郎さんは昔から趣味人としても知られていました。

 明治維新後の廃仏毀釈運動でお寺のものがバンバン売られたとき、京都・知恩院の三門(山門のこと)も売られそうになりました。伝三郎さんは私財を投じて買い戻して、寄進した。そうしたこともあって、藤田家は大阪や(出身地の)山口と縁が深いのですが、菩提寺は知恩院なのです。

インバウンドに頼りすぎていた

新型コロナの影響がさらに長引けば、追加の資産売却に踏み切る可能性が出てきませんか。

伊勢氏:もちろん全くないとは言えません。ただ、あまり数はやりたくない。今持っている株式で売れるものは売る。早期退職も全社的に実施しています。300人規模で募集し、(最終的な退職者も)そのくらいになりそうです。そうした施策も含めて、人件費は3割くらい削減できそうです。

新型コロナ以前、ワシントンホテルなどのビジネスホテル事業は稼ぎ頭でしたが、インバウンドに依存していたようにも見えます。

伊勢氏:インバウンドに頼りすぎた面はありました。若い方はご存じないかもしれませんが、ワシントンホテルは、企業戦士が日本中を出張する際のビジネスホテルとしてスタートしています。ここで一度立ち止まって、お客様は誰なのかということをもう一度考えなければなりません。

 (ビデオ会議システムの)Zoomなどが浸透していくと、宿泊サービスの市場は縮小していくと思います。そうなったときに、駅近のワシントンホテルであればテレワークの拠点として時間貸しをするといったことができます。

 これまで泊まるためのしつらえだった部屋も少し変えようと思っています。全部というわけではありませんが、ワンフロアだけテレワーク、リモートワークに適した部屋にするなどしていきます。

椿山荘や太閤園などの事業も、近年売り上げは減少していました。19年12月期には営業赤字も計上しています。

伊勢氏:椿山荘では、かつては年間4000件くらいの婚礼をやっていましたが、今は2500件くらいになっています。婚礼のマーケット全体も落ちていますが、我々の落ち方はそれ以上。商品力に問題があると認識しています。今の若い方だと、ゲストハウスでの婚礼など、自分だけの式をしたいという方も多い。そういったニーズにどう対応できるかということも含め、中身を変えています。

外資系高級ホテルとの違いを出していく

外資系の高級ホテルは都心のターミナル駅の目の前に進出しています。一方、椿山荘は最寄り駅から徒歩で約10分かかり、交通の利便性などで劣る面があります。

伊勢氏:昨年から、「東京雲海」というものをやっています。1日に数回、椿山荘の庭園を大雲海で覆い、お客様に景色を楽しんでいただくものです。お部屋で洋食のフルコースを食べながら見ることもできる。東京駅近くのラグジュアリーホテルとはそういったところで差別化していきたい。

 実は東京雲海の動画がユーチューブにのっているのですが、台湾などの人から注目されています。なのでインバウンドが再開した瞬間に、中華系の方には来ていただけるのではないかと考えています。

 あとはやっぱり料理ですね。宴会のマーケットは縮小しています。その中でどうやって魅力を出していくかとなったとき、料理を見直そうと。それを前面に出していこうと思っているところです。

業務の変革には社員の意識改革も不可欠です。

伊勢氏:私たちは客商売なものですから、お客様に合わせるのがDNAとしてあります。自分から先頭に立って何事も前向きにチャレンジする点が欠けていたと感じています。みんなが意見を言えるところがあまりなかった。やっぱり最前線でお客様と接している人間がお客様のニーズを分かっているわけですから、それを吸い上げて次の商品、次のやり方につなげていかなければならないと思いました。ボトムアップのような形に変えていこうとしています。

 それとやっぱり女性の活躍。実は椿山荘のマーケティング支配人を女性にしたんです。椿山荘ではアフタヌーンティーをやっているのですが、来られるお客さんはほとんど女性です。それだけ女性客が多いのに、全体の方針を決めるのは男性たちでした。それはおかしいと思って、女性に任せた。そうしたら、次々と企画がヒットしています。

 あとは、「タビノス」という若いインバウンドのお客さん向けにつくったホテルの支配人も女性にしました。そのホテルは接客もフランクで漫画もそこら中に置いてあるような新しいホテル。若い人の感性、女性の感性でやってほしい。

 組織として、人事制度を変えようと思っています。年功的なところにとらわれやすい制度でしたが、(年次が)下の人でも上の職位になるような、そんな形に変えたい。

 (椿山荘や小涌園など)これだけの資産がありますが、そこへの甘えをなくしたい。箱だけに頼らずにソフトの部分での付加価値を高めていきたいと考えています。

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